"私を捨てるはずだった夫" 第11話
同居のルール
美咲は、うどんをもべなかった。
奥の畳から自分の用のコートとセーターを数着引っ張りし、桜のキャリーケースに乱暴に詰め込んだ。
「美咲、泊まっていかないの?」と私が声をかけても、彼女は振り返りもしなかった。
「帰る。こんな息の詰まる部、秒もいたくない」
玄関でスニーカーを履きながら、美咲は背を向けたまま言った。
「私、もう歳だから。自分のことは自分でやるし、仕送りだってりなければバイト増やすからいいよ。……だからさ、私のためにして緒にいるとか、そういうの本当に気持ち悪いからやめて」
ガチャリ、とい鉄の扉が閉まった。
階段をキャリーケースの輪が転がり落ちていく乾いた音が、カン、カン、カンと響き、やがて消えた。
娘に捨てられたのだと、私はった。
、私たちのにいて、夫婦という希な関係を繋ぎ止めていた唯の鎹が、自らの志でその鎖を断ち切ってていったのだ。
リビングに戻ると、伸び切ったつのうどんが、たい油の膜を張っていた。
直はにへたり込み、両でを抱えていた。
その背は、すっかり丸まり、さく見えた。
もう、「子どものため」という言い訳は使えない。
世体も、父親の威厳も、母親の献も、すべて美咲によって剥ぎ取られていた。
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残されたのは、を惰性で消費し尽くした、歳の男と歳の女だけだった。
私はえたうどんの丼を流し台に運び、角コーナーにをぶちまけた。
ドロリとした汁が排に吸い込まれていくのを見つめながら、私ののは、奇妙なほど冴え渡っていた。
流し台を拭き、を洗ってから、リビングに戻った。
直の向かい側に、正座して座った。
「直さん」
直は顔をげなかった。を抱えたまま、く呻くように言った。
「……すまない」
「謝らないで。謝られても何も解決しないわ」
私は引きしから、美咲が置いていったルーズリーフと黒のボールペンを取りした。
机のに置き、直を見据えた。
「婚するかどうかは、すぐには決められない。お互い、今すぐむ所を変えるおも気力もないでしょう」
「……ああ」
「だから、ルールを決めましょう」
私の言葉に、直はようやく顔をげた。その目は赤く充血していた。
「ルール?」
「ええ。私たちは今から、夫婦をやめます」
直の息が止まった。
「婚届はさない。世には夫婦のままでいい。でも、この部のでは、ただの同居になりましょう。ルームシェアです」
私はボールペンをらせ、ルーズリーフに箇条きで文字をき込んでいった。
、賃と費は完全に折半とする。
、事は各自で調達し、互いの分は作らない。
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、洗濯、掃除などの事も完全に個でう。
、休の過ごし方や帰宅について、互いに干渉・報告しない。
、奥の畳は由美、畳半の部は直の個とし、互いの部には許なくち入らない。
を直のに滑らせた。
直は並んだ文字を、まるで国語の契約でも見るかのように凝していた。
「ご飯も……作らなくていいのか」
掠れた声で、直が言った。
「ええ。あなたのシャツにアイロンをかけることも、もうしません。あなたが何に帰ってこようが、夕飯をどこでべようが、私は切気にしない。その代わり、私のにも切をさないで」
直はルーズリーフを見つめたまま、い沈黙に沈んだ。
拒絶されるかとった。
りすか、あるいは「そこまでしなくても」と泣きつくか。
だが、直のから漏れたのは、い、いため息だった。
そしてその表の底に、私は見てしまった。
わずかな、本当にわずかな「堵」のを。
彼もまた、夫という役目をろされたことに、救われていたのだ。
「……分かった」
直はボールペンを取り、の末尾に、自分の名をさくサインした。
こうして私たちは、狭いLDKので、としての共同活を始めた。