"私の遺産を仕分ける夫" 第16話
すこし塩辛い朝
箱根から戻って数週が経った、の初の朝だった。
カチ、と枕元の目覚まし計が午を指した。
、私の体をね起きさせてきた針の音。
私は暗い寝ので、静かに目をけた。
井の目をしばらく見つめ、それから窓のから聞こえる野鳥のさえずりにを澄ませた。
隣の布団では、敬が静かな寝息をてている。
以の私なら、臓を縮こまらせながら布団を抜けし、音を忍ばせて台所へっていただろう。
噌汁の湯気の温度を気に病み、魚を焼く煙の匂いに追われていただろう。
けれど今朝、私は起きがらなかった。
掛け布団を胸元まで引きげ、もう度、ゆっくりと目を閉じた。
よい度寝のまどろみのに、体を委ねた。
ガタン。
階の台所から、何か属が擦れうような器用な音が響いてきたのは、それから半ほど経った、午半のことだった。
バタン、と蔵庫の扉が閉まる音。
コトコトと、ぎこちなく包丁がまな板を叩く音。
続いて、パチパチと油がねるような音と、焦げた魚の匂いが、階段を伝って階の寝まで漂ってきた。
私はわず元を緩め、布団からた。
顔を洗い、部着のに枚カーディガンを羽織って階段をりる。
居の引き戸をけると、そこには信じられない景が広がっていた。
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敬が、首にタオルを巻き、私の柄のエプロンを窮屈そうににつけて、コンロのに仁王ちしていたのだ。
「……あ、起きたか」
夫が振り向き、バツの悪そうにを掻いた。
額にはうっすらと汗が滲み、のにしだけがついていた。
「敬さん、何してるの?」
「いや……たまには、とってな。お、昨箱根から帰ってきたばかりで疲れてるだろ。……座ってろ。もうすぐできるから」
卓には、すでに揃いに並べられた朝が置かれていた。
アジの干物は、尾びれの部分が真っ黒に焦げて縮みがっていた。
鉢の納豆は、パックから無造作に移されただけでネギも入っていない。
そして、お椀に注がれた噌汁からは、猛烈な気と共に、もうもうとい湯気がちのぼっていた。
、私が決して卓にさなかった「すぎる噌汁」だった。
敬が恐る恐る、私の向かいの席に腰をろした。
きりの、静かな朝の卓。
「……いただきます」
私がをわせると、敬もさく「いただきます」と呟いた。
私はまず、ちのぼる湯気をで払い、お椀を持ちげた。
ふうふうと息を吹きかけ、慎にをつける。
舌のに広がったのは、煮干しの汁のを完全に覆い隠すほどの、烈な噌のだった。
私はわず、眉をきゅっと寄せた。
「……どうだ?」
敬が、まるで通信簿を待つ学のような顔をして、私の表を伺っていた。
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「いか?」
「しょっぱいわよ、これ」
私はお椀を置き、わず笑いをこぼした。
「お噌、さじ杯くらい入れたでしょう。お汁の、全然しないわよ」
敬の顔が、見る見るうちに赤くなった。
「う……やっぱりそうか。どれくらい入れればいいのか分からなくてな。……すまん、作り直すよ」
ちがろうとする夫の腕を、私は軽くで制した。
「いいの。めないほどじゃないわ」
私はもう、濃すぎる噌汁をに含んだ。
塩辛い。喉の奥がカーッとするほどしょっぱかった。
けれど、、誰かのために完璧な温度と完璧なを保ち続けてきた私にとって、この無様で、器用で、塩辛い杯は、どんな級旅館の朝よりも温かく喉を滑り落ちていった。
「……は、もうし噌を減らすよ」
敬が、焦げたアジのをつつきながら、ぼそりと呟いた。
私はお茶をすすりながら、夫の顔をじっと見つめた。
「も、作ってくれるの?」
敬は線を泳がせ、の裏まで真っ赤にしながら、ご飯をに放り込んだ。
「……気が向いたらな。たまにだ、たまに」
「そう」
私はさく笑って、焦げた魚のを箸でほぐした。
窓のでは、の柔らかな差しが、居の畳を角く照らしていた。
計の針はを回っていた。
急ぐ必はどこにもなかった。
私たちのには、まだし塩辛い、けれど確かにのものになったしいが、静かに広がっていた。