"私の遺産を仕分ける夫" 第15話
箱根の湯と黄い軽自
季節は巡り、沼津のに柔らかなのが満ちていた。
印刷所のあった所は、真しいのシャッターで半分に仕切られていた。
の半分には『牧瀬印刷坊』というさな製の板が掲げられている。
のからは、以のような腹に響く鳴りのような騒音は聞こえない。リズミカルなトントンというさな械の音と、職たちの落ち着いた笑い声が漏れていた。
のチラシ印刷をやめ、従業員をに絞った坊は、奇跡な儲けこそしないものの、毎堅く利益をし始めていた。
『するが堂』の贈答用箱は元の観客ので評判を呼び、今では伊豆や富士宮の老舗旅館からも、特注の案内状や袋の注文がい込むようになっていた。
敬はもう、「と勝負する」などとは言わなくなった。
朝から作業着を着て、佐々くんの横でを揃え、武藤さんの指示に従ってインクの調を伝っている。夜も酒をすることはなくなり、にはに帰ってくるようになった。
そして私には、つのしい相棒ができていた。
実の庭先にめてある、古の黄い軽自だ。
距は万キロを超えていたが、のオーナーが切に乗っていたらしく、内は清潔でエンジンの音も気よかった。
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父の遺産から、万円で買い取ったものだった。
、私は錆びたカゴのついたママチャリしか乗ったことがなかった。
どこへくにも夫の許がいるような気がして、隣町のスーパーへくのすら冒険だった。
けれど今、私は自分の運転免許証と、自分名義の検証を持って、好きなに、好きな所へハンドルを切ることができる。
「お姉ちゃん、運転うまくなったじゃない」
助席で窓をけ、のに髪を揺らしながら妙子が笑った。
私たちは今、箱根の曲がりくねったを、黄い軽自で登っていた。
父の周忌を無事に終え、あのに約束した箱根温泉へ、ようやくで向かっているところだった。
予約した宿は、羅のにある、客がほどの静かな老舗旅館だった。
部の窓からは、緑に萌える箱根の々と、くにちのぼる涌の煙が見えた。
夕方、呂に浸かると、濁した湯のが肌に柔らかくまとわりついた。
肌を渡るがよく、湯がりの照った頬を撫でていく。
「ふう……極楽極楽」
妙子がぬぐいをに乗せ、きく息を吐きした。
「お姉ちゃんとこうして温泉に来るなんて、本当に何ぶりだろうね」
「そうね。の修学旅以来かしら」
私は湯面を見つめながら微笑んだ。
「ねえ、お姉ちゃん」
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妙子がし真面目な顔をして、首を傾げた。
「あの、結局義兄さんに百万円したじゃない? ……悔してない?」
湯気の向こうで、妹の澄んだ瞳が私を見つめていた。
私は湯をすくい、自分の肩にかけながら、ゆっくりと首を横に振った。
「ミリも悔してないわ」
「どうして? あれだけ勝に弁護士のところにかれて、鳴られて、ひどいこと言われたのに。私なら、絶対円もさずに放りしてたとう」
「と今とでは、まったく違うのよ」
私は言った。
「はね、敬さんが『夫なんだから、おがすのが当たりだ』ってってた。私もどこかで『妻なんだから、助けなきゃいけない』ってい込んでた。そこには私の志なんてどこにもなかったの」
私は呂の岩肌に背を預けた。
の端に、夕が沈みかけていた。
「でも、あの百万円は、私が自分で決めたの。の現実を見て、これならいけるって判断して、条件をつけて、自分の名で投資したのよ。……誰かに奪われたんじゃなくて、私が私ので使いを選んだの。だから、もしあのが失敗して百万が消えたとしても、私は自分を誇りにえるとう」
妙子はしばらく私の顔を見つめていたが、やがてふっと吹きすように笑った。
「……お姉ちゃん、変わったね。昔はあんなに義兄さんの顔ばかり窺ってたのに」
「そうかしら」
「うん。すごくいい顔してるよ。今のほうが、ずっと綺麗」
私たちは顔を見わせて笑った。
、誰かの妻として、誰かのとしてきてきた私のが、ようやく私自ので面を踏みしめ始めたのをじていた。