みかん小説
本棚

"私の遺産を仕分ける夫" 第11話

万回の朝のみ

バタン、とアルミサッシが乱暴にけ放たれた。

「武藤! 静岡のやつら、話にもならん! 担保にする産がないなら話は聞けないの点張りだ。あいつら、うちがどれだけ——」

声を響かせながら事務所に入ってきた敬が、言葉を途でみ込んだ。

事務所の央、パイプ子に座って類を広げている私の姿を捉えたからだ。

夫の顔が、驚愕から屈辱へ、そして燃え盛るようなりへと瞬に変わっていった。

「……美? お、ここで何をしている」

「敬さん」

私はちがり、元のファイルを机のに置いた。

敬の線が、私が置いていた伝票と、赤鉛で『断り』とかれた『するが堂』の企画に落ちた。夫の頬がピクピクと痙攣した。

「武藤! お、何部者に勝に帳簿を見せてるんだ!」

敬が鳴った。

武藤さんは無言のままをげ、事務所のガラス戸をけて静かにへてった。佐々くんもくで械を止め、怯えたようにこちらを見つめていた。

ガラス戸が閉まり、狭い事務所のに、苦しい沈黙が落ちた。

「の職に乗り込んできて、勝に嗅ぎ回るなんて、何の真似だ!」

敬が私に詰め寄った。油と汗とタバコの匂いが、夫の体から吹きしている。

「専業主婦のおが、帳簿を見て何が分かる! 俺をコケにするのもいい加減にしろ!」

広告

「コケになんてしていません」

私は夫の目を、まっすぐに見返した。

昨夜までの怯えや罪悪は、議なほど消えっていた。

「見せていただきました。このの売も、従業員のお料のことも。そして……この『するが堂』さんのお話も」

敬の顔から、さっと血の気が引いた。

「ロットだからって、がかかるからって、こんなに条件の良いお仕事を断ったのね。自分は請けの印刷だから、雑貨の真似事はできないって」

私は静かに言った。

「敬さん。あなたが守りたかったのは、の従業員でも、私たちの活でもないわ。ただの、あなたのちっぽけなプライドじゃないの」

「黙れ!!」

敬が机を両で叩いた。類の束がび散り、空の皿がに落ちて甲い音をてた。

「俺が、おをわせてやったんだぞ!!」

夫は血った目で、私を指差して吼えた。

「誰のおかげで、度もで働かずに、ぬくぬくと飯をってこれたとってるんだ! おが平穏にきてこれたのは、俺がこのでをすすってきたからだ! その恩を忘れて、夫の仕事にケチをつけるのか!? 無で養われてきただけの女が、偉そうに経営を語るな!」

その言葉が落ちた瞬。

私のので、ずっと私を縛り続けていた『妻としての罪悪』という名の鎖が、音をてて千切れんだ。

広告

私は、息を吸い込んだ。

自分でも驚くほど、く、澄んだ声がた。

「養われてきた……?」

敬が眉をひそめた。

「敬さん。あなた、こので、度でも自分で靴を洗ったことがある?」

夫は言葉を詰まらせた。

「トイレットペーパーの芯を、自分で替えたことがある? 邪を引いたとき、自分で氷嚢を作ったことがある? 毎着ていく作業着の汚れを落とすために、私がどれだけ洗いで洗いをしてきたか、ってる?」

私は歩、夫にづいた。

「。に百。で万回以よ。私は万回以、毎朝に起きて、あなたの朝を作ってきたの。あなたが起きて卓につく瞬に、番美しくめるように、噌汁の湯気の温度を毎測り続けてきたのよ」

敬の目が泳ぎ始めた。

「私は料をもらっていなかった。通帳も持っていなかった。でもね、敬さん。それは私が無価値だったからじゃない。あなたに全部を捧げて、あなたがで何の配もなく仕事ができるように、のすべてを背負ってきたからよ。……それをあなた、『無で養われてきただけの女』って言ったのね」

涙はなかった。

ただ、の自分のに対する、く静かな自負だけが、私の背筋を真っ直ぐに伸ばしていた。

「あなたのと同じさで、私のもあるのよ。

私のを『呑気な暮らし』として踏みにじったあなたに、私の父親の遺産を奪う権利なんて、ミリたりともないわ」

敬は唇を震わせ、ち尽くしていた。

何も言い返せない夫の姿は、り狂う経営者ではなく、ただ現実を突きつけられて縮みがった、さく惨めな初老の男に過ぎなかった。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: