みかん小説
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"私の遺産を仕分ける夫" 第7話

消えたと夜の計算

百万円を注ぎ込んだことで、印刷所の息の根は確かに繋がったようだった。

敬の帰宅はしくなり、居でため息をつく回数も減った。朝の噌汁をむときも、「今はなんとか乗り切れそうだ」と、どこか堵したような調で話すようになった。

私は、自分の選択は違っていなかったのだとい込もうとしていた。百万円はきな額だったけれど、それで夫婦の平穏が保たれ、の灯りが消えずに済んだのだから、と。

けれど、季節がから初へと移り変わるの初旬、事態は音をてて崩壊した。

その、敬は夜のを過ぎても帰ってこなかった。

携帯に話をかけてもない。事故にでも遭ったのではないかとになり、何度も玄関のかりを確認していたところ、付が変わる直に、乱暴に引き戸がく音がした。

「……敬さん?」

居に現れた夫の姿を見て、私は息を呑んだ。

作業着の着はボタンが掛け違えられ、ネクタイは曲がり、ひどい酒の匂いがしていた。普段はでビールを本む程度で、で酔するようなではない。その夫が、壁にをつきながらふらふらと入ってきたのだ。

「敬さん、丈夫? どこでんできたの?」

肩を支えようとすると、敬は乱暴に私の腕を振り払った。

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「……切られた」

乾いた、ひび割れたような声だった。

夫は居の畳のにどさりと座り込み、持っていたビジネスバッグから分い類の束をぶちまけた。

「切られたんだよ……丸製菓に」

丸製菓。沼津に本社を置く、元では名な堅の菓子メーカーだった。

敬の印刷所とは先代の頃から以の付きいがあり、季節ごとの菓子の包装や化粧箱の印刷をに引き受けていた、いわば印刷所の台骨とも言えるの取引先だった。

「……どうして? あんなにい付きいだったのに」

「京のネット印刷に乗り換えるそうだ」

敬は膝を抱え、を睨みつけながら吐き捨てた。

「向こうの最鋭のデジタル印刷なら、ロットでもく、納期で仕がるってよ。うちみたいな古いオフセット印刷で、職がインク練って刷ってるような代遅れのは、もう用済みだってよ!」

夫の目には、血った悔しさと絶望が滲んでいた。

丸製菓の売は、印刷所全体の割くを占めていたはずだ。それが消えるということは、先入れた百万円など瞬で吹きぶほどの赤字が、毎垂れ流されることをしていた。

「あいつら……先代の頃から、無理な納期も全部聞いてやってきたのに……たかだか械の性能だけで、あっさり切り捨てやがって……!」

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敬は畳を拳で叩いた。鈍い音が部に響く。

私は言葉を失い、散らばった類のに落ちていた冊のカラーパンフレットに目を留めた。

『最鋭オンデマンド・デジタル印刷 導入のご案内』

鮮やかな彩で印刷された、巨な複のような最設備のカタログだった。余には、敬の跡でびっしりと数字がき殴られている。

本体価格、リース料、補助の適用額、そして——。

「美」

夫が顔をげた。

酒で赤く充血したその瞳の奥に、異様なが宿っていた。

「これだ。この械を入れれば、うちも丸製菓を取り戻せる。いや、丸だけじゃない、内ののメーカーからもしい仕事をごっそり奪い返せるんだ」

「……この械、いくらするの?」

嫌な予が、胸の奥で急激に膨らんでいく。

「補助を使っても、と初期費用で百万いる」

百万。

先の百万円とわせれば、千百万円。

私の通帳に残っているおの、ほぼ全額だった。

「敬さん、正気なの……?」

私の声が震えた。

「丸製菓との契約が終わったばかりなのよ? しい械を入れたからって、本当に仕事が戻ってくる保証なんてどこにもないじゃない。もし械を買って、それでも仕事が来なかったらどうするの?」

「来るに決まってるだろ!」

敬が鳴った。夜の静かな宅に、夫の声が響き渡る。

、私に対して度も声をげたことのなかった夫だった。

「俺はこの業界でやってきたんだ! 営業先も、客が何を求めてるかも、全部に入ってる! 械さえあれば、設備さえ揃えば、絶対に巻き返せるんだよ! おは素だから分からないんだ!」

敬は胸をさせながら、私のに膝でにじり寄ってきた。

その顔は、事業へのというよりも、自分のが否定される恐怖に怯える子供のように見えた。

そして夫は、悪びれもせず、信じられないほど滑らかな調で、こう言い放ったのだ。

「曜の朝番で、にってくれ。百万だ。設備にはもう話を振ってある。……残りの方は、そのまま置いておいていいから」

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