"私の遺産を仕分ける夫" 第4話
向かいう箸
午半。
玄関の引き戸が、ガラガラとい音をてていた。
「戻ったよ」
くぐもった、疲れ切った声。
「お帰りなさい。お疲れ様でした」
私は台所から顔をし、いつも通りのさ、いつも通りの抑揚で声をかけた。自分の声が擦っていないか、臓の鼓が喉まで伝わっていないか、全の神経を尖らせながら。
敬は作業着の胸元を緩めながら、居に入ってきた。
特の、械油とインクの匂いがふわりと漂う。顔にはい疲労のが刻まれ、目のには黒い隈が落ちていた。歳。髪の混じったをさく振り、首筋をぽきりと鳴らす。
「呂にする? それとも先にご飯?」
「……飯にする。今はもう、座りたい」
敬が卓の定位置に腰をろす。
私はく料理を並べた。焼きたてのアジのき、ナスの煮浸し、奴。そして、汁のりがつ根と油揚げの噌汁。
「はい、どうぞ」
敬のに置いた噌汁からは、いつも通り、ふっと落ち着いた湯気がかすかに揺れていた。
敬は缶ビールのプルタブを引いた。気よい音が静かな内に響く。グラスに注がず、缶のまま喉を鳴らして半分ほどみ干すと、ふう、とくい息を吐きした。
「今もの担当がうるさくてな」
敬が箸を割る。
「次のロットから、全額じゃないと卸せないって言ってきた。
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先代の頃からの付きいだぞ。それを、たかだかヶ支払いが遅れたくらいで……世辛いもんだ」
魚のをつつきながら、敬は苦々しそうに吐き捨てた。
「の担当も変わってから骨に態度がたい。追加の融資枠の話を持ちかけても、決算の数字ばかり見て現を見ようとしない。うちがどんなに丁寧な仕事をしてるか、何も分かっちゃいないんだ」
以の私なら、「変ね」「何か私にできることはない?」と、を乗りして夫の愚痴を受け止めていただろう。
しでも夫の荷を軽くしたくて、からの費をもっと削ろうと考えただろう。
けれど、昼の弁護士の顔が、夫の言葉の端々になって見えた。
これは、ただの愚痴ではない。
夫は今、堀を埋めているのだ。
自分がどれほど当に追い詰められているか、自分の会社がどれほど理尽な危に瀕しているかを、妻のに刷り込んでいる。
これから切りす「本題」のための、慣らしをしているのだ。
そう気づいてしまった瞬、見つめ続けてきた夫の横顔が、まったく見らぬのようにえた。
敬が噌汁をすすり、椀を置いた。
そして、テレビのニュース番組に線を向けたまま、ごく自然を装った、何の引っかかりもない声で言った。
「そういえば美。
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今、弁護士のところへってきたんだろ。お父さんの相続の」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
「……ええ。妙子と緒にってきたわ」
「そうか。どうだった、滞りなくみそうか?」
敬は箸をかし続けている。私の顔は見ない。
声の調子は穏やかで、ただ妻のの来事を尋ねる優しい夫そのものだった。
けれど、決定な違があった。
夫は、番気になるはずのつのことを、にしなかった。
「いくら入るのか」
そして、
「いつ入るのか」
普通なら、真っ先に聞くはずだ。実の遺産がどれほどの規模になり、いつ続きが終わるのか。
それを聞かないのは、聞く必がないからだ。
すでに弁護士のところへ度も通い、額の概算も、法な続きのルートも、すべて把握しているからだ。
っているのに、らないふりをして私に尋ねている。
そして私も、彼がっていることをっているのに、らないふりをしなければならない。
同じ卓で、同じ料理をに運びながら、私たちは互いに分いガラス越しに相を探りっていた。
私は湯呑みを両で包み込み、ゆっくりと息をえた。
そして、静かに答えた。
「ええ。でもね、役所の類集めがまだ残っているらしくて。登記の確認だとか、税の計算だとか、素にはよく分からない続きがたくさんあるみたいなの」
敬のが、ほんの瞬、止まった。
「……そうなのか?」
「ええ。弁護士の先も、まだしばらくがかかりますっておっしゃってたわ。くても、来か再来になるんじゃないかしら」
嘘をついた。
確な、悪を持った嘘だった。
あと週で入されるとっていながら、私はその期をわざと曖昧にぼかした。
、夫に隠し事など度もしたことがなかった私が、初めて夫の目を見て嘘をついた。
敬の線が、テレビから私の顔へと移った。
その瞳の奥に、かすかな苛ちと計算がよぎるのを、私は見逃さなかった。
弁護士から聞いていた「今」という期と、私の言った「来か再来」という言葉のズレを、彼のが激しく照しているのがにとるように分かった。
「……そうか。お役所仕事だからな。がかかるのは仕方ないか」
敬は努めて平然を装い、再び噌汁の椀を持ちげた。
「まあ、焦る必はないさ。しっかり続きしてもらえばいい」
「そうね」
私は微笑んでみせた。
喉の奥がカラカラに渇いていた。
敬はそれ以、遺産の話をしなかった。
私も何も言わなかった。
テレビから流れるプロ野球の歓声だけが、のの苦しい沈黙を埋めていた。
あと。
そのを迎えたとき、夫はこの嘘をどう暴き、どうやって私のにちはだかるのだろうか。
そして私は、守り続けてきたこの常を、自分ので壊す覚悟ができるのだろうか。
め切った卓ので、私は自分のえた指先を、膝のでただじっと見つめていた。