"三十年間「奥さん」と呼ばれた同僚" 第4話
きのない朝
曜の朝、分。
、私の体に染み付いた目覚まし計が、正確に私を起こしました。
寝をて、カーテンをけ、やかんをにかける。
お噌汁の汁を取り、鮭をグリルに入れ、炊飯器の蓋をける。
すべてがいつも通りの朝の支度でした。
違うのはただつ、リビングのアイロン台のに、糊のきいたワイシャツが枚もないことだけでした。
午分。
寝のドアがき、隆史が起きてきました。
彼はスーツではなく、何かに買ったきりタンスに眠っていた、毛玉のついたグレーのスウェットを着ていました。
「……おはよう」
夫はどこか居悪そうに、掠れた声で言いました。
昨夜の諍いの気まずさが残っているのか、それとも自分の装の落ち着かなさのせいなのか、線が定まりません。
「おはようございます。ご飯、できてるわよ」
私が努めて普段通りの声で答えると、隆史はさく頷き、いつもの席に座りました。
聞を広げようとして、すでに隅から隅まで読み終えていることに気づき、所なげにを膝のに置きます。
事のも、箸と茶碗が触れうカチカチという音だけが響いていました。
テレビをつけることもなく、は黙々とご飯をに運びました。
分。
いつもなら、夫がちがり、「ごちそうさま。
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じゃあ、ってくる」とネクタイを締め直すです。
隆史は無識にちがり、玄関の方へと、歩歩きしました。
そして、靴箱のにち尽くし、空っぽのを宙に彷徨わせました。
掴むべきビジネスバッグも、急いで履くべき革靴も、そこにはありませんでした。
「あ……」
さく漏れた夫の声には、底れない戸惑いと、恐怖のようなものが混じっていました。
という巨なレールが、昨の夜でぷつりと途切れてしまった。
その現実に、彼自が今まさに直面しているのだということが、痛いほど伝わってきました。
隆史はゆっくりとリビングへ戻り、ソファにく腰を沈めました。
丸まった背は、昨夜壇でスポットライトを浴びていた「部」の姿からは像もつかないほど、さく、頼りなく見えました。
ダイニングテーブルの片隅には、先週届いたばかりの旅会社のパンフレットが置かれています。
来、定退職との結婚記を兼ねて予約していた、泊の旅の案内でした。
樽の運を歩き、温泉に浸かり、これまでの労をねぎらいうはずだった、のしいの旅。
私はそのパンフレットを指先で引き寄せ、ソファのの夫を見つめました。
「ねえ、隆史さん」
夫が、びくりと肩を揺らして私を見げました。
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その瞳は、叱られるのを恐れる子どものように揺れていました。
「来の旅、あなたは誰とくつもりだったの?」
「……え?」
「のあなたの苦労も、戦いも、私は何もらなかった。あなたがどんな顔をして会社でり、どんなに悔し涙を流し、誰に慰められてここまで来たのか、私は何つらされていなかったわ」
私はパンフレットを伏せ、昨夜持ち帰った記アルバムのにねました。
「あなたが今から失ったその世界を、私は緒に惜しむことすらできないのよ。だって、最初から入れてもらえなかったんだもの。そんな私とく旅で、あなたは何を話すつもりだったの?」
隆史は唇を震わせ、何かを言いかけました。
「そんなことはない」「おには謝している」――そんな無な言葉を探しているのが、に取るように分かりました。
けれど、言葉は喉の奥で詰まり、てきませんでした。
夫自も、自分がかけて築いてきた「完璧な線引き」が、今や自分自を縛る檻になっていることに気づき始めていたのです。
私はちがり、アルバムの巻末をきました。
そこには、役職ごとの連絡先覧が几帳面なフォントで並んでいました。
『営業管理課・課 林紀子』
そのに記された話番号とメールアドレスを、私は自分の携帯話につずつ打ち込みました。
「私、林さんに会ってくるわ」
隆史が弾かれたように顔をげました。
「な……何を馬鹿なことを言ってるんだ! やめろ、みっともない!」
「みっともない?」
私は携帯の画面を見つめたまま、ややかに笑いました。
「みっともないのは、も夫婦をやってきて、夫のの半分をの女のに預けっぱなしにされていた私よ。……これ以、あなたに私のの判断を預けるのはやめるわ」
送信ボタンを親指で押すと、乾いた子音がつ鳴り、静まり返った部に落ちていきました。