"三十年間「奥さん」と呼ばれた同僚" 第2話
の冗談
帰りのタクシーのは、恐ろしいほどの静寂に包まれていました。
部座席の端と端に座り、隆史は度も私の方を見ようとしませんでした。
窓のを流れる灯のが、夫の固く結ばれた横顔を規則正しく照らしします。
元には、社員たちから渡された派な束と、記品のたい袋。
それらがのに、越えられない防波堤のように置かれていました。
自宅に着き、玄関の鉄の扉がい音をてて閉まった瞬、夫はさく息を吐きしました。
「……疲れたな。やっぱりああいう席は肩が凝る」
何事もなかったかのように靴を脱ぎ、ネクタイを緩めながらリビングへ向かおうとするその背に、私は声をかけました。
「隆史さん」
夫のが止まりました。肩が瞬、張るのが分かりました。
「あのは、誰?」
私の声は荒らげていませんでした。むしろ、自分でも気なほど平坦でした。
隆史は振り返らず、靴べらをスタンドに戻しながら、軽いため息をつきました。
「誰って……林だよ。さっきも言っただろ。総務から営業管理まで、ずっと同じ部署でやってきた同僚だ」
「名を聞いているんじゃないの」
私は玄関のかりので、夫の目をまっすぐに見据えました。
「どうしてあのが、あなたの奥さんとして壇にっていたのかを聞いているの。
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どうして社員の誰もが、彼女をあなたの妻だと信じ切っているのかを聞いているのよ」
隆史はようやく振り返りましたが、その目は私の眉のあたりをぼんやりと見つめているだけでした。
「……あれは、会社の冗談だよ」
乾いた笑いが、夫のから零れました。
「昔からの悪ノリなんだよ。俺と林は同期みたいなもんで、あいつも独代から気がくてな。俺が現で暴しそうになるとあいつが止める、あいつが困ってると俺がく。そういうのが続いて、周囲が面がって『社内結婚だ』『まるで夫婦だな』ってやかし始めたんだ。それだけの話だ」
「それだけの話?」
「ああそうだよ。酒の席の冗談だ。みんな酔っ払ってたし、司会をやった若い奴が調子に乗っただけだ。そんな目くじらをてるようなことじゃない」
、私はこのの「丈夫だ」「気にするな」という言葉を信じてきました。
夫がでどれほど神経をすり減らしているかをっているつもりだったから、庭のくらいは波をてず、穏やかに休める所にしようと努めてきました。
けれど、今夜のその言葉は、あまりにも私を馬鹿にしていました。
「続く冗談が、この世にあるとう?」
私の言葉に、隆史の顔から笑みが消えました。
「若い子がからかい半分で言ったんじゃないわ。
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あそこにいた数百の社員全員が、彼女を『部の奥さん』として扱い、謝の言葉を贈り、彼女もまた当然の顔をしてそれを受け取っていた。あなたが胃潰瘍で倒れた、誰が病院の事制限をっていたの? あなたが阪で辛かった、誰が隣で愚痴を聞いていたの? ……全部、あのだったんじゃないの?」
「真理子」
夫の声が、段くなりました。威圧するような、会話を打ち切ろうとするの声でした。
「俺は、おに余計な配をかけたくなかったんだ。会社の臭い派閥争いや、理尽なノルマや、そういう汚いものをに持ち込んで、おをにさせたくなかった。は庭、はだ。その線引きをしてきたからこそ、俺は勤めげられたんだ。おを守るためだったんだよ」
おを守るため。
その言葉を聞いた瞬、私のので、何かがえ切っていく音がしました。
「守る?」
私は静かに首を振りました。
「あなたは私を守ったんじゃないわ。ただ、あなたの本当のから、私を締めしていただけよ」
隆史はを結び、それ以は何も言いませんでした。
ただ苛たしげに背を向け、リビングのドアを乱暴に閉めて入っていきました。
廊に残された私の元には、誰の温もりもじられない、鮮やかな束だけが転がっていました。