"三十年間「奥さん」と呼ばれた同僚" 第1話
部さんの奥さん
「それでは、、脇目も振らずり続けてこられた部を、で支え続けたご族にも謝の言葉を贈りたいといます」
司会を務める若い男性社員の朗らかな声が、ホテルの宴会に響き渡りました。
壇のスクリーンには、夫・隆史のの歩みが映しされていました。
入社当のし尖った表。
代半ば、阪支社へ異になった頃の引き締まった横顔。
バブル崩壊の混乱期や、の胃潰瘍での入院活。
そのどれもが、私にとっては見覚えのある、そして私自も歯をいしばって支えてきた々の記憶でした。
私は膝ので、調したばかりの淡いベージュのジャケットの裾をそっとえました。
普段は夫の会社の事など滅に顔をさない私ですが、今回は隆史自らが「最だから、おも来てくれ」と珍しく頼んできたのです。
結婚して。
彼が定というつのきな節目を迎えるにち会えることを、私はどこか誇らしくっていました。
「部、どうぞ!」
促され、テーブルの端に両をかけ、腰を浮かせようとしました。
隣に座る夫の顔に、柔らかな笑みを向けようとした、その瞬でした。
「、部の綱をしっかりと握り、には叱咤激励して現を支えてくださった――林さん、へどうぞ!」
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割れんばかりの拍が、井を揺らしました。
私のを、の女性がすっと横切っていきました。
最列の丸テーブルからちがったそのは、仕てのいい濃紺のスーツをにまとった、私と同代――、歳ほどの女性でした。
くえられた髪に、落ち着いた所作。
林紀子さん。
夫のから、同僚として名だけは幾度となく聞いたことのあるでした。
彼女は何の躊躇もなく、まるでそれが決められていたち位置であるかのように、自然な取りで壇の隆史の隣へと歩み寄りました。
「奥さん、言!」
「部、今くらいはがらないって認めてくださいよ!」
方の席から、陽気な野次と歓声がび交いました。
会がどっと温かい笑いに包まれます。
誰もが笑顔で、誰もが疑いを持たず、壇に並ぶを「連れ添った夫婦」として見つめていました。
私は、腰になりかけた姿勢のまま、固まっていました。
壇の隆史の顔を見ました。
夫の元に張り付いていた営業用の笑顔が、ピキリと凍りついていました。
その線が、瞬だけ私の方を泳ぎ、そしてすぐに居悪そうにへと落ちました。
けれど彼は、マイクを握って「いや、違うんだ」とは言いませんでした。
ただ曖昧にを掻き、苦笑いを浮かべただけでした。
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林さんはマイクを受け取ると、淀みのない、聞き取りやすい声で話し始めました。
「皆様、温かい拍をありがとうございます。隆史さんがここまできな事故もなく勤めげられたのは、偏に現の皆様の支えがあったからこそです。阪でのちげのも、本社の組織改編のも、このは本当に頑固で……どれだけ周囲をハラハラさせたか分かりません。でも、最をこうして皆様の笑顔で見送っていただけて、本当に胸がいっぱいです」
淀みない言葉。
夫の癖を熟した語り。
会の誰もがく頷き、には目を押さえている若い女性社員までいました。
誰も違えているとっていませんでした。
この広い宴会ので、何かが狂っているとじているのは、世界で私だけでした。
散会、会の付でクロークの列に並んでいると、束を抱えた若い男性社員が、懐っこい笑みを浮かべて私にづいてきました。
「あの、部のご親族の方ですよね? お姉様か何かですか? 今は方からわざわざお越しいただき、ありがとうございました」
悪気など爪の先ほどもない、からの労いの笑顔でした。
「……いえ」
私の喉の奥からた声は、自分でも驚くほど乾いていました。
「妻です」
青は瞬、何を言われたのか理解できないという顔をしました。
それから、弾かれたように線を私の元――嵌め続けている結婚指輪へと落とし、息を呑みました。
「あ……えっ……あ、失礼いたしました……!」
青ざめてずさりする彼の背を見つめながら、私はえ切った指先を握りしめました。
、夫が守り、き抜いてきたというその所には、初めから「妻の真理子」の席など、どこにも用されていなかったのです。