"十九年間、夫に翻訳されていた" 第14話
説しない朝
曜の朝、午半。
カーテンをけると、晩のたく乾いた陽がリビングのフローリングを斜めに切り裂いていた。
世田の空はひとつなくれ渡っている。、このに越してきたと同じような、抜けるような青空だった。
私はすでに着替えを済ませていた。濃紺のシンプルなノーカラージャケットに、履き慣れた黒のフラットシューズ。洗面所の鏡で見た自分の顔は、青くはあったが、瞳の焦点は定まっていた。昨夜はもできなかったはずなのに、奇妙なほどが冴えている。
リビングへ戻ると、俊介がダイニングテーブルの定位置に座っていた。
アイロンの当たったいシャツに、ダークグレーのカーディガン。社のなりを完璧にえた夫のには、湯気のつブラックコーヒーと、あの青いノートがかれたまま置かれていた。
昨夜、彼が万でき殴った見きだ。
「……おはよう」
俊介は鏡を押しげ、静かに私を見た。声にはりも棘もなく、ただひどく疲れた、寛なのトーンだった。
「お湯、沸かしてあるよ。茶でも淹れたらどうだい」
「いいえ、結構です」
私はダイニングにはづかず、廊のキャビネットのに置いてあった黒のトートバッグをに取った。裁判所へ持参する類式と、の回りの最限の貴品が入っている。
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カチャリ、と俊介がソーサーにコーヒーカップを戻す音が響いた。
「奈緒。昨夜の君の様子、やっぱり異常だったよ」
俊介は両を組み、教壇から徒を見つめるような、然とした差しを私に向けた。
「夜の過ぎ、君は寝からてきて、リビングのソファに分も座っていた。暗ので、ただ膝を抱えてね。それから美咲の部のまでって、ドアノブにを触れて、けずに戻ってきた」
私は何も答えず、トートバッグのファスナーを閉めた。
俊介の観察は続く。彼にとって、目ののが発する沈黙すら、都のいい解析データに過ぎないのだ。
「君は、美咲に対して罪悪で押し潰されそうになっているんだ。そして、調という公のにることで、自分が『わがままな妻』として社会に裁かれることを本能に恐れている。だから昨夜、あんな無な徘徊を繰り返した」
俊介は青いノートの部分を、万の尻でトントンと叩いた。
「どうしてそこまでして自分を追い詰めるんだい? 怖いなら怖いと、ならだと、なぜ素直に僕に頼らない。君が抱えている恐怖の正体は、僕には全部見えているんだよ。君が言葉にできないなら、僕が裁判所に代理で連絡を入れて、今の期を取り消してもいい。それは決して恥ずかしいことじゃない」
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俊介は子を引き、ちがった。
すらりとしたが、私と玄関のにちはだかる。
「教えてごらん、奈緒。君は今、本当は何がなんだ? 何を恐れているんだ?」
その調は、どこまでも優しかった。
から、ずっとそうだった。
私が籠るたび、戸惑うたび、俊介はこの完璧な優しさで先回りし、私のからようとしていた拙い言葉を、あらかじめ用された型のに押し込んできたのだ。
『私はなんじゃない、ただ――』
かつての私なら、そう必に弁を始めていただろう。そしてその弁の言葉尻を捕らえられ、解体され、最終に「ほら、やっぱり君はなんじゃないか」という俊介の結論にみ込まれていったはずだ。
私は息を吸い込んだ。
たい空気が、肺の隅々まで満ちていく。
腕計の針は、分を指していた。庭裁判所の指定は、午。世田線から鉄を乗り継いで、霞が関までは約分。
かけるには、ちょうどいいだった。