"十九年間、夫に翻訳されていた" 第12話
夕の取り皿
調夜。曜の夜だった。
ダイニングテーブルのには、鮭の塩焼き、ほうれんのお浸し、豆腐とワカメの噌汁が並んでいた。私がこの台所にって作る、おそらく最になる夕だった。
俊介はいつも通り定に帰宅し、いワイシャツの袖をまくって席に着いた。美咲も予備から戻り、無言で私の向かい側に腰をろした。
器と箸が触れう微かな音だけが、静かな部に響いていた。
「……は、からだね」
俊介が噌汁の椀を置き、静かにをいた。
「霞が関の庭裁判所だ。僕も午からの社にして、午は付き添うよ」
「付き添いはらないわ」
私は鮭のを箸でほぐしながら、淡々と答えた。
「これは私の申してよ。待も別々になるって、案内にもいてあったはずだけど」
「形式はね」
俊介は柔らかく微笑んだ。相変わらず、その表には片の揺も苛ちもない。
「でも、慣れない所で君がでになるのは目に見えているからね。ロビーで待っているよ。終わったら、くで何か美しいものでもべて帰ろう」
すべてが、すでに終わったあとの予定として語られる。私が裁判所で現実の厳しさに打ちのめされ、泣きついてくることを、ミリも疑っていない男の調だった。
その、カチャリと箸を置く音がした。
広告
美咲だった。
美咲は自分の取り皿のにある鮭を見つめたまま、さく息を吸い込んだ。
「……お父さん」
「ん? なんだい、美咲」
「私、のことだけど」
俊介の眉が、わずかにピクリといた。庭内の事項は、父親である彼がすべて段取りをつけるのがこのの鉄則だった。
「相談は、来週の者面談のに僕とじっくり詰める約束だろう。今は模試の復習に集しなさい」
「今、言いたいの」
美咲は顔をげた。その目はまっすぐに俊介を捉えていた。
「私、第志望、京都の学にしたい。指定推薦じゃなくて、般入試で受ける」
俊介の箸が止まった。
彼は驚いたような顔を瞬だけ見せたが、すぐにいつもの、物事を理するの静な表へと戻った。湯呑みのお茶をすすり、穏やかに微笑む。
「京都か。関の国なら悪くない選択肢に見えるね。でも美咲、君がなぜ今、急に『方の暮らし』を言いしたのか、理由を論理に分析してみよう」
俊介は差し指を本てた。いつもの解体作業の始まりだった。
「君は今、庭内の穏な空気にストレスをじている。お母さんの緒定に巻き込まれるのが嫌で、無識に『物理な距を取って逃げしたい』という防本能が働いているんだ。それに、般入試という過酷なを選ぶことで、お母さんの関を自分に向けさせたいという無識のサインでもある」
広告
俊介は父親らしい慈に満ちた目で、美咲を見つめた。
「つまり、君が本当に京都にきたいわけじゃない。庭の危に対するなリアクションだ。暮らしの活コストと防犯のリスク、それに君のメンタルのキャパシティを考えれば、都内の私に自宅から通うのが最も理だよ」
完璧な約。完璧な翻訳。
美咲の言葉は、俊介のを通すことで、またしても「緒定な逃避」へと変換された。
過の美咲なら、ここで唇を噛んで黙り込み、最には「……うん」と頷いていたはずだった。
だが、美咲は引かなかった。
彼女は自分の取り皿を、両で元に引き寄せた。
「お父さん」
その声は震えていた。けれど、決してさくはなかった。
「私の話を、最まで聞いて」
俊介が目を見張った。部から予期せぬ反論を受けた管理職のように、その瞳に微かな戸惑いがる。
「逃げたいわけじゃない。私が、で暮らしてみたいの。お父さんのいないところで、お母さんのいないところで、私が自分で決めて、自分で失敗してみたいの」
「美咲、失敗のリスクを甘く見てはいけないよ。世のは――」
「最まで聞いてって言ってるでしょ!」
美咲がテーブルを叩いた。
湯呑みのお茶が、さく波打った。
「お父さんはいつもそう! 私が何か言うと、すぐ『本当はこうってるんだろ』って別の言葉に変えちゃう! 私が言った言葉は、私が言った通りのなの! 勝に私の気持ちを翻訳しないで!」
部の空気が、完全に止まった。
俊介はを半きにしたまま、固まっていた。、彼が築きげてきた完璧な言語空に、美咲のの叫びが巨な亀裂を穿っていた。
私は、息を呑んで娘の横顔を見つめた。
美咲の目から、粒の涙が零れ落ちていた。けれどその線は、決して父親から逸らされていなかった。
「……ごちそうさまでした」
美咲はちがり、自分の器を流し台へ運ぶと、度も振り返らずにリビングをていった。階段を駆けがる音が響き、やがて階のドアが閉まる音がした。
静まり返った卓で、俊介は呆然と宙を見つめていた。
その元の湯呑みから、い湯気が、ただ虚しくちっていた。