"新婦母の席札" 第10話
黒い桐箱の真珠
優が喫茶のガラス扉を押して入ってきたのは、午半を回った頃だった。
信夫も会社を抜けして流しており、私たちは奥のボックス席で、肩を並べて娘を待っていた。
テーブルのには、をつけられないままえ切ったつのコーヒーカップが置かれていた。
優は息を乱すこともなく、濡れた傘を畳んで席の端に置くと、私たちの向かい側に腰をろした。
元には、何も持っていなかった。
袋も、包みも、何つ。
「……優」
信夫が掠れた声で呼んだ。
優は運ばれてきたたいおを気に半分ほどみ干し、ふう、とく、い息を吐きした。
「全部、話してきた」
娘の調は落ち着いていたが、膝のに置かれた細い指先が、微かに刻みに震えているのを私は見逃さなかった。代の若い娘が、歳の百戦錬磨の祖母と正面から対決してきたのだ。平気であるはずがなかった。
「おばあちゃん、どうだった」
信夫の問いに、優はしい目をして、世田ので起きたことをぽつりぽつりと語り始めた。
実のい格子戸をけた、義母・美津子はすでにののに座り、優を待ち構えていたという。
畳の座卓のには、注文した級な寿司桶と、そして――黒いベルベットのケース、それに古めかしい桐箱が置かれていた。
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「座るなりね、おばあちゃん、そのケースをけたの」
優は淡々と言った。
に入っていたのは、粒の阿古真珠が連なった、見事なネックレスだった。
義父が、義母の還暦祝いに贈ったという、親族のでも名な品だ。
そして桐箱の蓋をけると、そこには優名義で作られた定期預の通帳が入っていた。額は、百万。
『優ちゃん、これはあなたのものよ』
義母は優のを取り、慈に満ちた祖母の顔を作ってそう言ったという。
『お父さんは今、に血がっているだけ。男のって、でストレスを抱えると庭でを張るものなのよ。でもね、に度のあなたの式に、佐藤の老である私がられないなんて、親戚に対しても向こうのご両親に対しても、顔向けができないでしょう?』
優は黙って聞いていた。
『あなたからお父さんに言ってちょうだい。「おばあちゃんが泣いているから、主卓に座らせてあげて」って。い娘の頼みなら、信夫だって絶対に断れないわ。この真珠をにつけて、バージンロードを歩きなさい。それが佐藤の娘としての誇りよ』
そこまで聞いて、隣に座る信夫がギリと奥歯を噛み締める音が聞こえた。
「どこまで……どこまであいつは……」と、夫が拳を震わせている。
「それで、優、あなたは何て言ったの?」
私の問いに、優は線をげ、まっすぐに私の瞳を見つめ返した。
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「私ね、その真珠を見ながら、ずっと昔のことをいしてたの」
「昔……?」
「学のお正」
優の声が、わずかにくなった。
「親戚みんなが集まってた、従兄弟のショウタ君が、私のしいの鉛を勝に使って、何本も芯を折っちゃったことがあったでしょ」
私の臓が、トクンと嫌な音をてた。
記憶の底に沈んでいた古い景が、瞬で蘇ってきた。
「私、悔しくて泣いたの。そしたらおばあちゃんが何て言ったか覚えてる? 『優ちゃんは女の子なんだから、お兄ちゃんに譲ってあげなさい。そんなことで泣くなんて、卑しい子ね』って言ったんだよ」
あの――。
そうだ。あの、私はどうしただろう。
「あのね、お母さんはショウタ君の母親……叔母さんにペコペコをげてたの。『うちの子が気言ってごめんなさい、優、くお兄ちゃんにありがとうって言いなさい』って」
優の瞳に、うっすらと涙が膜を張った。
しかし、その涙は決して零れ落ちなかった。
「私、あのほどお母さんを憎んだことはなかったよ。悔しくて、しくて、何で守ってくれないのって。……でもね、きくなるにつれて分かったの。お母さんは私をいじめたくてそうしたんじゃない。そうやってヘラヘラ笑って自分の尊厳を差しさないと、こので息も吸えなかったんだって」
優は机のに置かれた自分のを、く握りしめた。
「だから私、おばあちゃんに言ったの」
『この真珠も、おもりません』って。
義母の顔が凍りついたという。
何をされても平伏してきた嫁・綾子の娘が、まさか目ののを瞥もせずに突き返すとはっていなかったのだ。
『おばあちゃん、私はおばあちゃんが嫌いなわけじゃないよ。私の結婚式に来て、嫁姿を見てほしいとってる。でもね』
優は義母の目を真っ向から見据えて、こう言い放った。
『おばあちゃんがそこに来るのは、私の祖母としてであって、私の母親から席を奪うためじゃない。もしおばあちゃんが、自分がこのの支配者だって誇示するために式に来るなら……お願いだから、来ないで』
の空気が、完全に氷結したという。
義母は震えるで真珠のケースを握りしめ、顔を真っ赤にして優を睨みつけた。
『あんた……親の恩を何だとってるの! 誰のおかげで――!』
『私を育ててくれたのは、毎をげながらご飯を作ってくれたお母さんと、毎満員に乗って働いてくれたお父さんだよ』
優はちがり、座布団からりてく礼した。
『席次は、親族席の末席に用してあります。来てくれるなら、孫としてから歓迎します。でも、主卓には絶対に座らせない。お母さんの席は、誰にも渡さない』
それだけ言って、優は度も振り返らずに実のをてきたのだという。