"新婦母の席札" 第7話
半分だけの妥協案
披宴の席次表の確定締め切りまで、あと。
もはや式の担当プランナーからも、「これ以の延期は印刷程に支障がます」と最通告が突きつけられていた。
曜、計の針が夜のを回った頃。
優が結婚相の族との打ちわせから帰宅し、自分の部へ引き取った、信夫がリビングのかりを半分消した。
ローテーブルのには、広げられた席次表の図と、本の赤ペンが置かれていた。
婦父母の席は空欄のまま、義母・美津子の名も宙に浮いたままだ。
信夫は缶ハイボールのプルタブを引き裂くようにけた。炭酸が弾ける音が、暗い部に妙にきく響く。
「……綾子、ちょっといいか」
信夫の声は掠れていた。この週で、夫はらかにキロは痩せていた。頬がこけ、目元に気がない。
私は向かいのソファに座り、膝のでをねた。
「何?」
信夫は赤ペンを指先で弄びながら、線をテーブルのに落としたまま言った。
「母さんのことなんだけどさ」
胃の奥が、キュッと収縮する。
「今、昼休みに母さんから連絡があった。……かかりつけの循環器内科にって、圧剤を段いやつに変えられたらしい」
「……そうなの」
「伯母さんからも話があってさ。『これ以姉さんを追い詰めて、もし脳の血管でも切れたら、あんた悔するわよ』って泣きつかれた」
広告
信夫はそこで言葉を切り、ハイボールをんだ。氷がカランと虚しい音をてる。
彼は私を見ようとしなかった。ペン先で、席次表の余をとんとんと叩き続けている。
「だからさ……俺、妥協案を考えたんだ」
「妥協案?」
「ああ」
信夫は、まるで自分を正当化するための言い訳を、ので何回もリハーサルしてきたかのような調で、に語り始めた。
「まず、挙式だ。チャペルでの式には、母さんにも来てもらう。挙式なら席順なんて関係ないし、親族席のの方に座ってもらえば、親戚にもメンツがつ」
私は黙って信夫の言葉を待った。
「で、問題の披宴だ。披宴は……主卓には、予定通り綾子とおが座る。で、母さんには、番ろの親族卓、叔父さんや叔母さんたちが座るテーブルの、番端の席に座ってもらうんだ」
信夫はそこでようやく顔をげ、私を覗き込んだ。
その目には、すがるようなが宿っていた。
「これでいいと言ってくれ」「頼むから俺を許してくれ」と、無言で懇願していた。
「それなら、母さんを式から完全に排除したことにはならないし、世体も保てる。主卓はおが座るんだから、母さんの『主卓を譲れ』っていう無茶な求は突っぱねたことになるだろ? これなら、誰も傷つかない。番角がたない落とし所だとうんだ」
誰も傷つかない。
広告
番角がたない。
、私がにタコができるほど聞いてきた、そして私自もにしてきた、触りのいい欺瞞の言葉だった。
「信夫さん」
私の声は、自分でも驚くほど静かだった。
「お義母様は、その案に納得してるの?」
信夫の線が、わずかに泳いだ。
「……納得はしてないよ。まだブツブツ言ってる。でも、完全に締めすよりはマシだろ? 親戚の、式にさえ入れれば、母さんだってそれ以騒ぎはできないはずだ」
「本当にそうう?」
「綾子……」
「お義母様が、番ろの親族席でおとなしく座って、拍して、引き物を持って帰ってくれるとうの?」
信夫はを噤んだ。答えられないのだ。彼自、母親がそんな殊勝なではないことを、骨の髄までっているからだ。
式に入り込みさえすれば、義母は必ず何かを仕掛けてくる。お直しのに親戚を引き連れて主卓に陣取るか、挨拶ので婦の母親としての権利を主張するか、あるいはから「こんな端の席に座らされて恥をかかされた」と親戚に触れ回るか。
信夫はただ、今この瞬の、親戚からの話攻撃と罪悪から逃れたいだけだった。
「綾子、頼むよ」
信夫がを乗りし、テーブル越しに私のを握ろうとしてきた。そのはたく湿っていた。
「俺だって、母さんの肩を持ちたいわけじゃないんだ。
でも、これ以親族から責めてられたら、俺の精神がもたない。会社でも仕事に集できなくて、ミスばかりしてるんだ。おだって、俺がこうやって苦しんでるのを見るのは辛いだろ? な? 今回だけ、この妥協案でを打ってくれないか」
その瞬、の記憶が馬灯のようにを駆け巡った。
『おがになってくれ』
『母さんも悪気はないんだ』
『このを収めるために、綾子がしてくれ』
いつもそうだった。
信夫は自分が矢面につのが怖くなると、決まって私の目のに跪き、れな被害者の顔をして、私の「慈」を求めてきたのだ。
そして私は、「私がすれば、このな夫を救える」という歪んだ全能に酔いしれて、その毒杯をみ干してきた。
私は、信夫のを静かに避けた。
夫の指が、虚しく宙を掻く。
「……綾子?」
「信夫さん。私を、あなたの免罪符にしないで」
私の言葉に、信夫の体が凍りついた。
「え……?」
「『綾子が納得したから』『綾子と相談して決めたから』って、また私の名を使ってお義母さんと打ちにするつもりでしょう? 自分が母親と決定に決裂する覚悟がないから、私のところに半分だけ妥協案を持ってきて、許を求めてるのよ」
「ち、違う! 俺はただ、族のバランスを――」
「バランスじゃないわ。逃げてるだけよ」
私はちがった。から見ろす夫の姿は、ひどくさく、頼りなく見えた。
「その妥協案をどうしてもやりたいなら、信夫さん、あなたが自分で決めて、自分の責任でお義母さんに通告しなさい。私に『それでいいよ』って言わせて、罪悪をめようとしないで」
「綾子、待てよ! お、たすぎるだろ! 俺はおのために母さんと喧嘩したんだぞ⁉︎」
信夫のから、ついに本音が漏れた。
『おのために』。
やっぱりそうだったのだ。このは、私を守るためにちがったのではない。私を守る「派な夫」になりたかっただけで、その結果りかかってきたののさに耐えかねて、今度はそののを私になすりつけようとしているのだ。
「私のために戦ってなんて、頼んでないわ」
私は淡に言い放った。臓が張り裂けそうに痛かったが、顔の筋肉をミリもかさなかった。
「戦うなら、自分のために戦いなさい。『母親に自分の庭を支配されるのが嫌だ』っていう、あなた自の尊厳のために。それができないなら……どうぞ、お義母様を主卓に座らせて、私を末席に追いやってちょうだい。昔の信夫さんに戻るだけよ」
信夫は息を呑み、絶句した。
私は席次表に背を向け、寝へと向かった。
ドアを閉める直、リビングに残された信夫が、を抱えてく呻く声が聞こえた。
けれど私は、もう振り返らなかった。
彼が自分のでたない限り、この獄は終わらない。
私がを差し伸べることは、救済ではなく、共依という名の緩やかな毒殺なのだと、ようやく理解できたからだった。