"新婦母の席札" 第5話
がり框の羊羹
玄関のに、え切った空気が澱んでいた。
「誰かが自分のせいで嫌を損ねてる状態に、耐えられないだけなんじゃないの?」
優の声は、叫びでも詰問でもなかった。
ただ、の朝の面にを落としたような、静かで残酷な波紋を私の元に広げていた。
私はに提げた虎の袋を、握り直すことすらできなかった。指先が張り、袋の角がのひらに痛いほどい込んでいる。
「……優、そんな言い方ないでしょう」
私の声は、けないほどかすれていた。
「お母さんは、あなたの結婚式を無事に迎えたいだけよ。お父さんとおばあちゃんが本気で喧嘩したら、親戚が揉めるの。そうなったら、番惨めないをするのはあなたなのよ?」
「違うよ」
優は歩、がり框の端まで歩み寄ってきた。
部着のカーディガンのポケットに両を突っ込み、まっすぐに私を見ろしている。その瞳には、かつて私に向けられていた幼い甘えは微もなかった。
「お母さんは私のために謝りにくんじゃない。自分が『いい嫁』でいられなくなるのが怖いだけでしょ。親戚から『あそこの嫁がを取り持てないからだ』ってろ指を指されるのが怖いだけでしょ」
「優ッ!」
わず語気がくなった。
。、私がどれほどの屈辱をみ込んでこのを繋ぎ止めてきたか、この子は何つらないのだ。
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義父の病で腰を痛めたも、正に親戚分の雑煮をで作り続けたも、義母から「気の利かない嫁」となじられながらをげ続けたも。
全部、この子に自由ないをさせないためだった。佐藤の娘として、堂々と胸を張ってきていけるようにするためだったはずだ。
「私を責めるの? あなたが何自由なく学をて、こうして派なと結婚できるのは、誰がを被ってきたからだとってるの?」
にしてから、激しい悔がこみげた。
恩着せがましい、最も言ってはいけない母親の台だった。
けれど優は、傷ついた顔をしなかった。
ただ、く、く息を吐きして、痛ましそうに目を伏せた。
「ってるよ。お母さんがずっとしてきたことくらい、ずっと見てたからってるよ。……だから、嫌だったの」
優は屈み込み、私のから虎の袋をそっと抜き取った。
私の指は力なくき、ずっしりとしたみがのひらから消えた。優はその袋を、駄箱のの隅に無造作に置いた。
「お母さんがヘラヘラ笑って『私が悪いんです』って言うたびに、私は自分のそのものが申し訳なくなった。お母さんが削られていくのを見ながら育つ子どもの気持ち、考えたことある? 『私がいるせいで、お母さんは逃げられないんだ』って、ずっとってたんだよ」
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臓を、太い氷の杭で貫かれたような覚だった。
息ができなかった。
良妻賢母として振るい、庭の平を守ってきたという私のの誇りが、根底から音をてて崩れ落ちていく。
その、静まり返った玄関に、甲い子音が響き渡った。
私の斜めがけバッグので、スマートフォンが激しく振している。
画面を取りすと、信夫の叔母――義母の妹である「子」の名が表示されていた。
昨夜からこれで度目の着信だった。
「ないで」
優がく言った。
けれど、私の指はすでに、の条件反射で通話ボタンをスライドさせていた。っている親族からの話を無する恐怖に、私の肉体は抗えなかった。
「……はい、佐藤でございます」
『あ、綾子さん⁉︎ やっとたわね!』
をつんざくような切り声が、受話から漏れた。静かな玄関で、優のにもその声は届いていたはずだ。
『信夫君の携帯、何度かけても留守になるのよ! 体どういうつもりなの? 美津子姉さん、昨夜から血圧が百くまでがって寝込んでるのよ! 息子の信夫君に式に来るなって言われたって、泣き崩れて……もし姉さんのに何かあったら、あなた責任取れるの⁉︎』
「叔母様、申し訳ありません、あのは――」
謝罪の言葉が、滑り台を滑り落ちるようにをついてようとした。
その瞬、目のにつ優の線が界に入った。
娘は何も言わずに、ただ静かに、私を見ていた。
「またやるんだね」とでも言いたげな、たく透き通った瞳だった。
私の喉が、に痙攣した。
言葉が詰まる。
ここで謝れば、私は今までの私だ。
「私が信夫を説得します」「私が主卓を譲ります」と言えば、叔母は満し、義母のりはに収まり、私はまた、あの贄の祭壇に戻ることができる。
でも――。
私は駄箱のに置かれた、黒い虎の袋を見つめた。
あのみを、もう度と娘に背負わせたくない。そのいが、喉元までかかった謝罪を、ぐっと押し戻した。
私は受話器を握りしめ、震える声に力を込めた。
「叔母様」
『何よ! く姉さんのところへってをげなさいよ!』
「その件は、信夫と義母ので話していることです」
話の向こうが瞬、静まり返った。
叔母は、従順な綾子がそんなを利くなど、ほどもっていなかったのだろう。
「私は、しできるにおりません。ですから……信夫の会社の昼休みにでも、信夫本に直接お話しいただけますか。失礼いたします」
『ちょ、ちょっと綾子さん⁉︎ あなた何様のつもり――』
私は通話終ボタンをく押し込んだ。
ツーツーという乾いた子音が消えると、玄関には信じられないほどの静寂が戻ってきた。
スマートフォンの画面を持つが、まれたての鹿のように激しく震えていた。
全の毛穴からや汗が噴きしていた。親族の者に、これほど無礼な態度を取ったのはで初めてだった。
恐る恐る顔をげると、優がしだけ目を見いて私を見ていた。
そして、ふっとく息を吐いた。
「……お母さん、が震えてる」
「震えるわよ。臓が止まるかとったわ」
私がけない声で言うと、優は駄箱のの虎の袋を指差した。
「これ、今のおやつにべよう。夜の梅、私好きなんだよね」
娘はそれだけ言うと、袋を抱えてリビングの奥へと戻っていった。
私はがり框にへたり込み、たい壁にを預けた。
の芯がガンガンと音をてて痛んでいたが、議と、ぶりに胸のつかえがしだけりたような気がしていた。