"「実の親じゃない」と夫に言われた日" 第7話
赤い糸で縫った名布
曜の午、浩司は「急な休勤が入った」と言い訳を残し、逃げるようにをてきました。美咲との修羅から目を背けるためのであることは、誰の目にもらかでした。
のには、静まり返った空気だけが漂っていました。
私は洗濯物を抱え、階の廊を歩いていました。
美咲の部のドアが、換気のためか数センチだけ隙をけてありました。
から、シャキ、シャキ、とさなハサミの音が聞こえてきました。
普段ならノックをしてから入るところですが、その規則な音の微かさに、私はわずを止めました。
隙からを覗き込むと、美咲はカーペットのに正座し、広げた学の制を見つめていました。
紺のセーラー。着古して、肘のあたりがしテカテカとっている、美咲の制でした。
美咲の元には、さな裁縫用の握りバサミが握られていました。
彼女が切っていたのは、襟元の内側にあるさな布でした。
シャキ、と微かな音がして、布を留めていた赤い糸が本、切られました。
私は息を呑みました。
その赤い糸と、いくすんだ布に見覚えがあったからです。
、美咲が学にがったのことでした。
成期を見越して、浩司は「どうせすぐ背が伸びるんだから」
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と、美咲の体には回りもきな制を買ってきました。
ぶかぶかの制を着せられた美咲は、首のろに縫い付けられていたいポリエステルの既成ネームタグが擦れて、首筋を真っ赤に腫らして痒がっていました。
浩司は「そのうち慣れる」と蹴しましたが、美咲はお呂がりに泣きそうな顔で首を掻いていました。
その夜、美咲が寝静まった、私は古いネームタグを丁寧にリッパーでほどき、肌触りのいい柔らかい綿の晒し布をさく切って、しい名布を作りました。
布描きペンで『神美咲』とき、チクチクと赤い刺繍糸で襟の内側に縫い付けたのです。
『真紀さん、これ全然チクチクしない。ありがとう』
翌朝、制に袖を通した美咲が、し照れくさそうに笑ってくれた顔を、私は今でも鮮に覚えていました。
その名布を、美咲は今、針針、赤い糸を切ってしていたのです。
布が制から完全にれると、美咲はハサミを置き、のひらに載せたそのさな布をじっと見つめました。
角が擦り切れ、赤い糸の端がほつれた、角い綿の布。
美咲はそれを捨てるのではありませんでした。
勉机の引きしから、古いモロゾフのクッキー缶を取りしました。
蓋をけると、には学の頃に拾った桜貝や、押しにしたつ葉のクローバーなど、美咲にとっての「切な宝物」
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が入っていました。
美咲はそのクッキー缶の底に、私が縫い付けた名布を、指先で丁寧に撫でてシワを伸ばしてから、そっと収めたのです。
そして、宝箱に鍵をかけるように、静かにの蓋を閉めました。
私は胸の奥を、い箸で突かれたような衝撃を受けました。
(……この子は、捨てようとしているんじゃない)
美咲がこのをてこうとしているのは、私を嫌悪しているからでも、私との活を疎ましくっているからでもない。
むしろ、私と過ごした記憶を、壊れないようにさな缶のに仕い込んで、切に守ろうとしているのではないか。
その矛盾したのが、私の胸ので激しく波打ちました。
私は気配を消し、音をてずに階へりました。
そのの夜、計の針が半を回った頃でした。
私はリビングのかりを落とし、キッチンのさな元灯だけを点けて、えた麦茶をんでいました。
階段を静かにりてくる音がしました。
パジャマ姿の美咲が、喉が渇いたのかグラスを持ってキッチンに入ってきました。
「……あ、真紀さん、まだ起きてたんだ」
「ええ、し調べ物をしていてね。麦茶、しいの作ったところよ」
「ありがとう」
美咲は蔵庫からピッチャーを取りし、トクトクとグラスに注ぎました。
そして、ゴクゴクと音をてて半分ほどむと、キッチンの流し台の縁に両をつきました。
美咲は私に背を向けたままでした。
静まり返った夜の台所に、換気扇のい回転音だけが響いていました。
「……あのさ、真紀さん」
ぽつりと、美咲が言いました。
「何? 美咲」
「野の寮って……週末、に帰ってきてもいいのかな」
私はグラスを持つを止めました。
「募集項には、曜の放課から曜の限までは、届けをせば泊や帰省は自由だっていてあったわよ」
「……そっか」
美咲は背を丸め、グラスの底に残った氷をカランと揺らしました。
「幹線、いよね」
「なら学割が使えるわ。それに、速バスなら片千円台で帰ってこられる便もあるみたい」
「……うん」
美咲はそれ以、何も言いませんでした。
けれど、その丸まったさな背から、言いれぬ迷いと、すがりつくような孤独が伝わってきました。
『このに、もう秒もいたくない』
そう叫んで父親を拒絶した女が、方で、週末にこのへ帰ってくるための方法を気に病んでいる。
美咲が逃げしたいと願っている「この」とは、体何なのか。
私へのを残しながら、それでもなお、彼女をくへ駆りてているものの正体は何なのか。
暗に包まれたキッチンで、美咲の細い肩が、微かに震えているように見えました。