"追い出した妻の味を食べる夫" 第10話
もう、隠れることはできない。
には契約を打ち切られるかもしれない。あるいは、健が直接このに乗り込んできて、罵声を浴びせるかもしれない。
『何の真似だ』 『俺を嘲笑うために、あんな弁当を作っていたのか』
どんな言葉で責めてられるだろうか。
私は拳を握りしめ、濡れたタオルの繊維が指にい込むのをじながら、翌の朝を待った。
だが、翌朝。
オオタニ・フードクリエイトからの発注は、キャンセルされるどころか、何つ変わらずに届いた。
「通常通り、でお願いします」
宮本さんからのファックスには、そう印字されていた。
そして、曜の午。
回収されて戻ってきた個の容器。
私は、緊張で指先を張らせながら、番に置かれた【社】の箱を引き寄せた。
蓋をける。
は、昨と同じく、米粒つ残さず綺麗に空になっていた。
そして、その底には――。
の付箋が、枚。
濡れないように、綺麗につ折りにされて置かれていた。
私は震える指で、その片をいた。
そこには、いつもの角ばった、あの男の跡で、こうかれていた。
『来週の曜は、煮物を入れてくれ。でいい』
私は、片を見つめたまま、息を呑んだ。
ったはずだ。
昨、ので肉の箱を抱えていた私の姿を、あいつは確かにこの目で見たはずなのだ。
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それなのに、なぜ。
なぜ、何事もなかったかのように、来週の弁当の注文を寄越してくるのか。
なぜ、っていることを隠し、平然とした顔で、ただの客のふりを続けているのか。
の付箋を握りしめる私の指先から、たいりと、言葉にならない戦慄が、静かにいがってきた。
曜の朝、厨にち込める湯気は、先週までと何つ変わらなかった。
朝の静寂。
換気扇のい唸り声。
まな板ので、根が気よい音をてて輪切りにされていく。
トントン、トントン。
曜に戻ってきた、あのの付箋――『来週の曜は、煮物を入れてくれ。でいい』という文を、私は反芻していた。
あいつは、っている。
先週の曜、の裏で肉の箱を抱えていた私を、あの黒塗りのセダンのから確かに見つめていた。
目がった。
呼吸が止まるほどの沈黙ので、私たちは互いのを認識しったはずだった。
それなのに、健は何わぬ顔で注文を維持し、あまつさえ「煮物を入れてくれ」と個な指定まで寄越してきたのだ。
なぜ、鳴り込んでこないのか。
なぜ、「何の真似だ」と契約を打ち切らないのか。
鍋ので踊る根を見つめながら、私は煮汁の汁を丁寧にすくい取った。
鰹と昆布の番汁に、醤油とごくわずかな醂。
根の面取りをし、隠し包丁を入れて、芯までじっくりとを通す。
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かつてで、健が「続きで胃が疲れた」と言った翌朝に、私が必ず作っていた通りの汁の引き方だった。
っていて注文しているなら、わせてやる。
私は【社】のシールが貼られた弁当箱の仕切りに、透のある飴に煮がった根と、柔らかく炊いた鶏肉を詰めた。
柚子の皮をほんの片、爪の先ほど削り落として添える。
「み咲ちゃん、今は段と汁のりがいいわね」
良子さんが横から覗き込み、微笑んだ。
「ええ。し丁寧に引きましたから」
私は平静を装って笑い、蓋を閉めた。
半。
回収された個の空き容器が戻ってきた。
私は真っ先に、赤いシールの箱を引き寄せた。
蓋をける。
綺麗に空だった。根の煮汁の滴、柚子の皮の欠片すら残っていなかった。
そして、底には――やはり、の付箋があった。
『汁がよく染みていた。柚子のりが懐かしい』
指先が微かに震えた。
「……何が、懐かしいよ」
声にして呟いた瞬、胸の奥でどす黒いりが泡った。
懐かしい、だと?
どの面をげて、そんな言葉を文字にするのか。
あの、喪の私の肩を靴の先で蹴りばし、娘の骨壺を抱えた私をのに突き落とした男が、今さら「懐かしい」などと、どの指でペンをらせているのか。
それからの週、奇妙で歪な関係が続いた。
健は毎、弁当を残さずべた。
そして、毎のように付箋を残した。
しかし、その内容はしずつ、確実に変質していった。