"父の葬儀で離婚を迫った夫" 第20話
私の静かな声に、港は首を横に振った。
「彩佳……頼む。俺と、やり直してくれないか」
港が、にをついたまま泣き崩れた。
「美優とは籍を入れない。認をして、養育費を払い、父親としての責任は果たす。だが、俺が涯を共にしたいのは、おだけなんだ。……おが俺を必としなくなって、で真っ直ぐを向いて歩いていく姿を見て、俺はやっと、おというをちゃんと見たんだ。失いたくないんだよ……!」
静まり返った部に、男の慟哭が響く。
私はバッグをけた。 そして、に彼から投げつけられ、私が切に保管していた枚の用を取りした。
『婚届』。
私の署名と捺印は、すでに綺麗に済ませてある。 私はその用を、港の目ののローテーブルに静かに滑らせた。 隣に、本の黒いペンを添えて。
「坂さん」
私の声は、の朝の空気のように澄み切っていた。
「あなたが、私というをようやく見られるようになったのは、とても良いことです。のとして、父親として、あなたが成できたのなら、それは素らしいことだといます」
港が、すがるような目で顔をげた。
「じゃあ……」
「でもね」
私は首を横に振った。 微かな、しかし絶対に揺らぐことのない微笑みを浮かべて。
「あなたが私を見られるようになったことは、私があなたのに残り続ける理由にはなりません」
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港の呼吸が、止まった。
「私は、あなたにされるためにきているのではありません。誰かの都の良い『優れた妻』になるためにまれてきたのでもありません」
私はテーブルののペンを、指先でしだけ港の元へ押しめた。
「私は、私のを、私自のできるために、今までここにいたのです」
港は息を呑み、テーブルのの婚届を見つめた。 そこには、何の迷いもない、凛とした私の名が記されていた。
どんなに懇願しても、どんなに涙を流しても、この女のはもうミリもかない。 かつて自分が蹴にし、のに突き落としたそのは、すでに彼のの届かない、遥かい空へと羽ばたいていた。
港は唇を噛み締め、震えるでペンを握りしめた。 涙がポタポタと、用の余を濡らす。
彼は嗚咽を漏らしながら、自らの名を、文字ずつ、魂を削るようにき込んでいった。 そして、実印をく押し込んだ。
カチリ、と朱肉がに沈む音が、のの終焉を告げた。
「……約束通り、本をもって、すべて終です」
私は婚届を丁寧につ折りにし、クリアファイルへと収めた。
「お世話になりました、坂さん。……どうか、まれてきたお子さんを、切にしてあげてください」
私は礼し、踵を返した。 背から、「彩佳……っ!」と呼ぶ声が聞こえたが、私は度と振り返らなかった。
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な扉をけ、廊へ踏みす。 歩むごとに、肩にい込んでいたい鉄の鎖が、本ずつれていくような覚があった。
私は、自由になったのだ。
◇
そのの夕方、私は坂のをくぐった。 階の客に置いてあったトランクをつに取り、階段をりる。
リビングには、子が、力なくソファーに座り込んでいた。 調印式で何が起きたのか、港からすべて聞かされたのだろう。 その顔はで、まるで歳も老け込んだように萎びていた。
私が玄関へ向かおうとすると、子がちがり、震える声で呼び止めてきた。
「……彩佳」
私がち止まって振り返ると、子は唇を震わせ、何かを言おうとして、結局言葉を見つけられないようだった。 かつて私を『女』と罵り、父親を侮辱したあの傲さは、完全に砕け散っていた。
「の鍵は、リビングのテーブルに置いてあります」
私は淡々と告げた。
「政婦の配は、今末まで港さんが延してあります。来からは、美優さんが退院してこちらのれに入られるそうですね。……どうぞ、仲良くお過ごしください」
「あ、あんた……本気で、ていくのね……」
子の瞳に宿っていたのは、私への憎しみではなく、これから始まる現実への底れない恐怖だった。 息子はにい傷を負い、には未熟児を抱えた若いが入り、かつてのように自分を無条件で敬ってくれるは誰もいない。