"母がナイフで砕いた自分の名前" 第21話
母は急須から湯みに緑茶を注ぎ、私のにコト、と置いた。
「断ったわ」
「断ったの?」
「ええ」
母は、茜の形を見つめ、優しく微笑んだ。
「名をして、賞をもらって、先と呼ばれて……そんなもの、もうらないのよ。私はね、きて、やっと分かったの。誰かの妻として名を奪われるのも真っ平だけど、誰かに認められるために名を誇示するのも、同じくらい自由なことだって」
母は、自分の細い指先をかざした。 節くれち、糊と絵の具の染みがかすかに残る、老いた職の。
「このがね、に触れて、気持ちいいとえる。今、無事にきられたとえる。……それだけで、私のは満点なのよ。名なんて、誰がらなくたっていいの。私が、私であることをっていればね」
母はそう言って、湯呑みを両で包み込み、ふう、と湯気を吹き消した。
窓のでは、の澄み渡った青空が、どこまでもく広がっていた。
名をかない自由。 何者かになろうとする焦躁からも、何者かでいなければならない圧からも解き放たれた、ただの「自分」として呼吸する自由。
母は歳にして、ようやくその所に辿り着いたのだ。
「お母さん」
「何だい、真由」
「お茶、美しいね」
「そう。よかったわ」
私たちはそれ以、何も言わなかった。 午の柔らかなので、名もなきさな形が、に吹かれるように、静かに、優しく微笑んでいた。