"母がナイフで砕いた自分の名前" 第12話
母の掠れた声が、幹線の音になって、の奥で何度もリフレインしていた。
京をる、会社には「庭の急用で休む」とだけ連絡を入れた。 司からの怪訝な声も、同僚からの引き継ぎの確認も、すべてのを滑り落ちていった。 まともな考など残っていなかった。
もし、母の言ったことが本当なら。 もし、あの形と、槙野子という名の封印が、単なる「古い婚の抑圧」などではなかったとしたら。
私は、歳を迎えた母の顔に、体何を叩きつけたのか。
正義の方の顔をして、虐げられた母を救いすヒロインを気取って、私がケーキナイフで切り刻んだものは、何だったのか。
胃の底から、たい胆汁がせりがってくるような吐き気を覚え、私はシートのでを縮めた。
*
岡駅で端線に乗り換え、岡駅にりったとき、陸特のく湿ったみぞれがり始めていた。
アスファルトは黒く濡れ、気が容赦なく首を刺す。 駅のロータリーにはもまばらで、の空がく垂れ込めていた。
母の残したあの古い製作誌の末尾に、鉛で記されていた所。 『富県岡舟町 越芸研究所』
に母が通い、形作りのすべてを学んだという所だ。
タクシーに乗り、運転に帳のメモを見せた。
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初老の運転は、バックミラー越しに私の顔を怪訝そうに見つめた。
「お客さん、越芸研究所って……ここ、くに畳んじまってるよ。理事だった先がくなって、もう跡形もないはずだが」
「……どなたか、当のことをごの方はいらっしゃいませんか。そこで修されていた職さんとか」
運転は腕を組み、うーんと唸った。
「職かあ。あの研究所のなら、町の千代ばあさんくらいしか残っとらんのじゃないか? 杉本千代さん。御過ぎだが、あそこなら今でも器のの片隅で、の型染めやら物を細々と作っとるはずだ」
藁にもすがるいだった。 「その杉本さんのところへ、お願いします」
町は、千本格子の古い町が然と並ぶ、静まり返った通りだった。 板の葺かれた根から、みぞれがポタポタとたい雫を落としている。
をり、教えられた町へ向かった。 格子戸の横に、控えめなの板が掲げられている。 『杉本芸』
引き戸にをかけ、恐る恐る引いた。 ガラガラ、と真鍮の鈴が鳴る。
「ごめんください……」
の奥から、ストーブの匂いと、麩の糊の匂いが漂ってきた。母のあの密と同じ匂いだ。
「はいはい、どなたかね」
奥のがりから、腰の曲がった柄な女性が姿を現した。 髪をきっちりとひっつめに結い、の染めの掛けを締めている。
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い皺の刻まれた顔に、鋭利なを宿した瞳。
「あの……杉本千代先でしょうか。私、京から参りました、佐伯と申します」
「佐伯?」
杉本さんは眉をひそめ、私をつま先からのてっぺんまで値踏みするように見つめた。 その線が、私の目元あたりでピタリと止まる。
「……佐伯って、あんた。まさか、子の娘か」
臓がねがった。
「母を……母をごなのですか」
杉本さんは返事をしなかった。 ただ、に落ちるみぞれの音を聞きながら、いため息をひとつ吐いた。
「がりなさい。は寒かっただろう」
通された奥の居には、真鍮の鉢と、使い込まれた裁断台、そして壁面にの束が積まれていた。 湯みに注がれたい番茶から、ばしい湯気がちる。
杉本さんは鉢の炭を箸でえながら、く掠れた声で言った。
「子はどうしてる。もう、になったはずだが」
「はい。先週、古希を迎えました」
「そうかい。きてたかい。……佐伯ので、無事に婆さんになれたんだね」
その言葉の端々に、トゲのようなややかさが混ざっていた。 私は膝ので指を固く絡ませ、い切って切りした。
「杉本先。母の昔の荷物のから、昭に陸美術芸展で優秀賞を取った、形を見つけました。『槙野子』という名が刻まれていました」
杉本さんの箸をかすが、ピタリと止まった。
「……あれを見たのかい」
「はい。素らしい形でした。