"母がナイフで砕いた自分の名前" 第4話
母はそう言って、淡々と財具の処分をめていた。
兄のは「仕事が忙しい」と言い訳をして寄り付かず、結局、荷造りの半を伝ったのは私だった。 歳、独。都内の広告制作会社で働き、残業続きの毎ので、週末ごとに実へ通い、段ボール箱を組みてた。
母は、驚くほど執着のないだった。 父が買い集めた価な絵画も、飾り棚に並んでいたブランド物のも、「もうらないから」と次々にリサイクル業者へ引き渡していった。自分の持ち物といえば、着古した綿のと、最限の調理器具だけ。
「お母さん、これ、本当に捨てていいの? 父さんからのプレゼントでしょ」 そう聞いて見せた真珠のネックレスに対しても、母はく笑って、 「いいのよ。首が凝るだけだから」 と、ゴミ袋へ放り込んだ。
その潔さは、傍から見れば「老の断捨」に見えたかもしれない。 だが、私には、母が自分というの痕跡を、この世から消しろうとしているように見えてならなかった。
事件が起きたのは、引っ越しの、階の納戸の奥を片付けていただった。
押し入れの最段、袋の暗がりに、古びた桐の箱がつ、取り残されていた。 の荷物はすべて運びされ、埃っぽい畳のにぽつんと置かれたその箱は、湿気を吸って黒ずみ、隅の具が赤く錆びついていた。
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「お母さん、袋にまだ箱があるよ」
階に向かって声をかけたが、台所で鍋を洗うの音にかき消されたのか、返事はなかった。 私は、その桐箱の蓋にをかけた。
けてはいけない、という虫のらせのようなものはあった。 だが、広告の仕事での「物語」を暴きてることに慣れてしまっていた私の指先は、好奇に抗えなかった。
ギギッ、と乾いたが擦れう音がして、蓋がれた。
に収められていたのは、宝でも、古いでもなかった。
幾にも巻かれた、黄ばんだ。 そのを、枚、また枚と慎に剥がしていった私の喉から、さな息が漏れた。
「……なに、これ」
そこに横たわっていたのは、体の、で作られた形だった。
息を呑むほど、美しかった。
さはセンチほど。細い針とで組まれた骨組みに、極限までく漉かれたが、何層にも、何層にもねて貼りわされていた。 形が纏っているのは、平の装束を模した、しかしどこかな、淡い藤のグラデーションの着物。特の柔らかな繊維が、まるできているの肌のようにを吸い、微かに放っている。
憂いを帯びた切れの目、わずかに引かれた、そしてを孕んで今にもきしそうな、流れるような袖の曲線。
素の慰みなどでは断じてない。
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確固たる技術と、狂気じみたが注ぎ込まれた、本物の「作品」だった。
形のには、黒漆の塗られたさな製台座が敷かれていた。 私は震える指先でその台座を持ちげ、裏返した。
底面の隅に、細いの跡が残されていた。 掠れひとつない、凛とした墨の文字。
『槙野子 作』
まきの、かずこ。
私のので、その文字が音を結ぶまでに数秒がかかった。 母の旧姓だ。 母の実は富県で、祖父がくなったに度だけ戸籍謄本を取り寄せたことがあった。その、母の欄に確かにかれていた名——槙野。
桐箱の底には、枚の賞状が敷かれていた。
『優秀賞 芸部 槙野子殿 昭 陸現代美術芸展』
昭。 母が歳のだ。父と見い結婚し、男である兄のを産む、ほんのしの。
さらに、賞状のから、数冊の学ノートがてきた。 表には几帳面な文字で『製作誌』とかれている。
埃の匂いに混ざって、古い樟脳のりがを突いた。 私は座り込み、吸い寄せられるようにそのノートをいた。
そこには、私のまったくらない「母」がきていた。
『——美濃の雁皮を取り寄せる。繊維の粘りが素らしい。指先の覚だけで、どこまでく剥げるかが勝負だ。師匠は「おの形にはが籠もりすぎる」と仰ったが、私は魂の入っていない綺麗なだけの形など作りたくない。
私のから、私の呼吸から、もうつの命を産みすのだ』(昭)