みかん小説
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"青い痣と一冊の手帳" 第3話

「俺は事なんて切できないからな」 交際は自げにそう宣言していた。私は笑って「しずつ覚えていけばいいよ」などと軽く受け止めていたのだが、結婚したからといってが自然に変わるはずもなかった。 結婚活が始まっても、は本当に指かそうとはしなかった。事の片付けはおろか、自分がんだお茶の湯呑みつすら流しに運ばない。

「ねえ、しは事を伝ってくれない? ゴミしとか、べた器を運ぶくらいならできるでしょう?」 ある、疲労がなっていた私が控えめに頼んでみたことがあった。だが、聞から目をすことすらなく、嫌そのものの声でこう吐き捨てたのだ。 「誰のおかげで飯がえてるとってんだよ。俺はで働いて稼いできてやってるんだぞ。その事まで俺にやらせる気か? 専業主婦のくせに怠けるんじゃない」

それ以来、私は事の協力を頼むことを諦めた。 結果として、さは際限なくエスカレートしていった。脱いだ靴は裏返しのまま丸めてリビングのに放りされ、脱所の洗濯カゴの横に放置される。私が何度「カゴのに入れて」と優しく注しても、頑として聞くを持たない。 「それをおが拾って洗うのが仕事だろうが」 そう言って平然としているのだ。

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何度も正そうと試みたが、そのたびに嫌になって鳴り散らされるため、結局は私が諦めて始末をするようになった。には、まだ幼稚園に通うほど幼かった息子のが、に落ちた父親の靴さなで拾いげ、「はい、お母さん」と洗濯カゴに入れてくれる始末だった。

結婚してもなく息子のまれ、私たちはでの暮らしを営んできた。 幸いなことに、当分ほどの距に義理の両親が暮らしており、何かと助けをしてくれる環境があった。特に義父は穏やかで理解のあるで、幼いをとてもがってくれた。 専業主婦としてにいることで、私はの成瞬をその目で見届けることができたし、会社員として忙しく働くを完璧に支えられているという自負もなからずあった。 の頃は、積極にPTAの役員を引き受け、学事や域のイベントにもく関わった。子供の笑顔のそばにいられること、それこそが当の私のにおける最の幸せであり、誇りだった。

「お母さん、好き!」 学から帰ってきたさなが、満面の笑みで私の腰に抱きついてくる。その温もりをじるたびに、に対するさな満や事の疲れなど、綺麗さっぱり吹きんでいた。

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ずっと、こんな温かい々が続いていくのだと信じて疑わなかった。

けれど、の流れは残酷だった。 あんなに素直で無邪気だったも、いつしかになった。はあっというに私の背を追い越し、見げるほどの体躯に成した。 当然ながら、もう「お母さん好き」などと甘えて抱きついてくることなどありはしない。

でサッカー部に所属しており、毎の練習でだらけになって帰宅する。 最の私と息子の会話といえば、 「これ、洗っといて」 玄関でドサリとたいエナメルバッグを置き、汚れの染み付いた練習着を突きしてくる、それだけだった。 「おかえり。今のご飯、何がいい?」と尋ねても、フンとを鳴らして線をわせようともしない。ただいま、という当たりの挨拶すら、滅からてこなくなった。これが世般で言う「反抗期」というものなのだろう。 では理解していても、かつての甘えん坊だった息子の面を追ってしまう私は、寂しさを禁じ得なかった。もうなのだから、そろそろ反抗期も落ち着いていい頃いのはずなのに、数が極端にないくせに、けば気な応えだけはだった。

、そろそろ期末テストの準備しなくていいの?」 夕、リビングでスマートフォンを眺めている息子にそう声をかけたことがあった。

するとは、忌々しそうに眉をげ、 「うるせえな! ほっといてくれよ!」

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