"帰国した父が「家族を忘れた」と言った日" 第10話
「健次……受かったわよ。『サクラサク』よ……に、格したわよ……!」
健次は机の角を掴み、を仰いだ。
胸の奥底から、い塊が込みげてきて、喉を詰まらせた。
あの吹の。膝まで埋まった。父が掻き分けてくれた跡。そのすべての景が、涙の向こうで鮮やかに蘇った。
そのの夕方、父はいつもよりく帰宅した。
には、駅ので買ってきた、さなホールケーキの箱がぶらがっていた。クリームのに、真っ赤な苺がつ乗った、庶民のささやかな祝いの印。
「お父さん、健次が……健次が格いたしましたよ!」
母が玄関先で迎えると、父は靴を揃えながら、照れくさそうに目尻をげた。
「ああ、会社で報の連絡を受けたよ。……よくやったな、健次」
父は居に入ると、健次のに正座し、くをげた。
「おめでとう、健次。おの努力の成果だ。本当によく頑張った」
「お父さん……ありがとう。あの、お父さんがを歩いてくれなかったら、僕、願をせなかったよ」
健次が涙を拭いながら言うと、父は首を横に振った。
「いや。歩いたのはお自のだ。……お父さんは、ただの案内をしたに過ぎない」
その夜、佐伯のちゃぶ台には、赤飯と鯛の塩焼き、そしてあの苺のケーキが並んだ。
父は、自らのでビール瓶の王冠を抜き、コップに黄の液体を満たした。
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「セツコ、おもしみなさい。分の苦労に、乾杯しよう」
「まあ、お父さんったら……」
母が嬉しそうにグラスを掲げ、健次はツ矢サイダーの瓶を持った。
カチン、とガラスが触れう澄んだ音が、畳に響き渡った。
父はビールを気に干し、プハッと息を吐いた。その横顔には、もう異国のも、敗残の翳りも微もなかった。
「健次、へ入ったら、岳部へ入れ」父が悪戯っぽく笑った。「本のはいいぞ。穂も、槍も、馬も、ヨーロッパのにはない、厳しい優しさがある。お父さんが使っていた古いキスリング(登用リュック)を、押し入れからしてやろう」
「うん! 僕、涸沢のの跡までってみたいよ」
「ああ、け。自分の目で、本のを見てこい」
テレビからは、の選抜野球の組みわせ抽選会のニュースが流れていた。
度経済成の狂は、なおもこの国をへへと押し流していたが、このさな卓には、代の狂騒に呑まれることのない、血の通った族の温もりが満ち満ちていた。
の気配が濃くなった旬。通信業の本社ビルでは、度に向けた規模な定期事異が発表されていた。
総務部資材管理課の掲示板のには、くの社員が群がっていた。
父の名は、つの辞令のにあった。
つは、『総務部資材管理課調査役を解く』。
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そして、もうつ。
『品質保証部・規格調査を命ず』
それは、華やかな輸の最線ではなく、製品の欠陥や現の規格適を未然に防ぐための、で過酷な「ブレーキ役」の設ポストだった。
かつてドイツで痛い敗を喫し、まみれのクレーム伝票をで理し続けた野修平にしか務まらない、社の良を担う役職だった。
「野、おめでとうございます」
掲示板の横で、かつて居酒で父に酒をこぼしたあの内部がっていた。内はバツの悪そうな顔をしながらも、背筋を伸ばして父にを差しした。
「……あのは、ひどいことを言った。すまなかったな」
父はそのをしっかりと握り返した。
「いいんだ、内。おたちの悔しさを、俺はずっとらずにいたんだからな。……これからは、度とあんな粗悪な製品をのへさせない。それが、俺の償いだ」
内はく頷き、力く父の肩を叩いた。
そのの夕刻、父は定で本社をた。
の駅広には、入社員としき若者たちが、希望に満ちた顔で集まっていた。
父は座の文具「伊」にち寄り、本の万を買い求めた。
国産のパイロット社製。漆黒の軸に、のペン先がついた、質素だが狂いのない正確な本の万だった。
に帰り、夕を終えた、父は健次を自分の斎――畳の片隅に置かれたさな文机のへ呼んだ。
「健次、これをおにやる」
父が差ししたのは、先ほど買い求めたばかりの万の箱だった。