"帰国した父が「家族を忘れた」と言った日" 第9話
毛糸の子を目に被り、元には古いゴム靴を履いている。には、かき用のきなスコップが握られていた。
「健次、願をビニール袋に入れて、鞄の奥へ仕いなさい。濡らしたら無効になる」
父の声は、吹の音を切り裂くようにく、力かった。
「お父さん……でも、が」
「歩くんだ」父は事も無げに言った。「世田から阿佐ヶまで、直線距で約キロ。をで歩けば、半で着く。今れば、半には学のをくぐれる」
「歩くって……この猛吹のをですか!?」母が鳴をげた。
「セツコ、男が勝負にるに、候のせいにして引き返す奴があるか」
父は笑った。に羽田へりったのあの淡な作り笑いではない。昭の厳父が持つ、荒々しくも頼もしい、本物の笑顔だった。
「くぞ、健次。お父さんがを歩く。おは俺の跡を踏んでついてこい」
玄関の引き戸をけると、猛烈な吹が吹き込んできた。
面のいのへ、父が真っ先に靴を踏みした。ズボリと膝までに埋まりながら、スコップでをへ掻き分け、太い跡をつ、またつと刻んでいく。
健次は学鞄を両で抱え込み、父の背を追った。
甲州を横切り、杉並の宅へ。歩はに埋もれ、乗り捨てられた自が列をなしていた。吹き付けるがをちぎるように痛く、の覚が麻痺していく。
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「お父さん……僕、もうがかないよ……!」
半が経過した頃、善福寺川のので、健次はのに膝をついた。寒さと疲労で呼吸がが理、涙が凍りついて界がぼやける。
父がち止まり、振り返った。
父のコートはで真っに染まり、眉毛も吐く息で凍りついていた。父は健次のに歩み寄り、のに両膝をついて、息子の目のさに顔をわせた。
「健次。を見ろ」
父は凍えるで、健次の両肩をく揺さぶった。
「俺はな、デュッセルドルフの、ライン川のので、寒さに震えてち止まった。言葉が通じず、仲を失い、自分の無力さに打ちのめされて、歩もへめなくなった。……あの、ち止まったから、俺はのを失ったんだ」
父のい息が、煙となって健次の頬を打った。
「だがな、健次。ち止まっても、はもう度歩きすことができるんだよ。がどれだけくても、をせば、そこには必ず面がある。おが目指している所は、あそこだろ!」
父はスコップの先で、吹の向こう、武蔵野の台の先を力く指し示した。
健次は唇を噛み締めた。血のがのに広がった。
父が背負ってきたの痛みが、その言葉のひとしずくとなって、健次の凍えかけた全の血管へく流れ込んでいくのをじた。
「……うん!」
健次はちがった。
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を払い、鞄を抱え直した。
「こう、お父さん!」
「よし!」
父が再びへ踏みした。をねげ、を切り裂きながらむその背は、どんな英雄よりも雄で、美しかった。
午分。
は、に埋もれた都の正をくぐり抜けた。
受付のストーブので、ビニール袋から取りされた願は、滴の濡れもなく、完璧な状態で担当教員のに渡された。
「佐伯健次君ですね。確かに受理いたしました」
その言葉を聞いた瞬、父と健次は顔を見わせ、ずぶ濡れの顔のまま、声をてて笑いった。
職員の窓のでは、京をく染めげたの切れから、柔らかなの陽が差し込み始めていた。
昭4833、ひな祭りの曜。
正午を告げるサイレンが鳴り響いた、世田の佐伯の話が、けたたましい音をてて鳴り響いた。
台所で昼の支度をしていた母がびがり、お玉を落としそうになりながら受話器を取った。
「……はい! 佐伯でございます! ……えっ、報ですか? はい、お願いします……!」
居の机で参考を理していた健次は、息を止めて母の横顔を凝した。
受話器をに当てた母の瞳から、粒の涙がポロポロと零れ落ちた。母は崩れ落ちるように畳に座り込み、何度も、何度も頷いた。
「……はい、ありがとうございます。はい……!」
通話を終えた母は、受話器を置くと、両で顔を覆って泣き崩れた。