"帰国した父が「家族を忘れた」と言った日" 第5話
「……そうだ。おが読んだ通りだよ」
父のから零れたのは、流暢な国語混じりの気取った言葉ではなく、懐かしい、あの訛りの残る飾り気のない本語だった。
「に向こうへ渡って……目に、すべてが終わった。現の巨企業に特許侵害で訴えられ、裁判に負けた。本社の役たちはトカゲの尻尾切りみたいに俺を現法に残して、資の送を止めた。……俺が雇った現のドイツの事務員も、優秀な技術者たちも、最は俺の顔に唾を吐いてっていったよ」
父の節くれだったが、畳の目を掻きむしるように握りしめられた。
「最のは、アパートの代も払えなくてな。ライン川の濁ったを見つめながら、毎、ぬことばかり考えていた。……だが、ねなかった。京に、おと母さんがいたからだ。『父さんはドイツで本のために戦っている』と信じ込んでいるおたちに、わせる顔なんて、どこにもなかった」
父は顔を覆った。指の隙から、粒の涙がとめどなく溢れし、畳のに黒い染みを作っていく。
「帰国の辞令がた、羽田に向かうので、俺は鏡を見たんだ。そこに映っていたのは、髪だらけで、怯え切った、ただの無能な負け犬だった。……怖かったんだよ、健次。へ帰って、『お父さんは失敗した、何も成し遂げられずに帰ってきた』と告げることが、ぬことよりも恐ろしかった」
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健次は、喉の奥がく焼けるのをじながら、父の震える背を見つめた。
なぜ父が、フォークを使い続けたのか。
なぜ父が、本の旧友たちのい話を「忘れた」と拒絶したのか。
あの滑稽なまでの英語交じりの喋り方も、ハイカラななりも、すべては自分を守るための、脆くしい「鎧」だったのだ。
『俺はしい代のになったのだ』『んだヨーロッパの理性をにつけて帰ってきたのだ』と装わなければ、壊れてしまいそうな自尊を保つことができなかった。昔のい話をつでも受け入れてしまえば、あの敗の獄がをけ、自分がただの落伍者であることを族のに晒してしまうと、怯え続けていたのだ。
「おたちが……眩しかったんだ」
父はしゃくりげながら、に額を擦り付けた。
「母さんは、俺が送るわずかな仕送りをやりくりして、を守ってくれていた。おは、俺の母を目指して、真っ直ぐに育ってくれていた。……それに引き換え、俺は何だ。、族を放りし、に入れたのはの資材理の仕事だけだ。……すまない、健次。けない父親で、本当にすまない……」
歳の男が、歳の息子ので、子どものように声をげて泣いていた。
企業戦士という昭の巨な神話に押し潰され、異国のたい畳ので魂をすり減らしてきた男の、これが紛れもない真実の姿だった。
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健次は、畳のに膝をついた。
そして、散らばった類のから、あの『Konkursverfahren(破産続き)』のを拾い集めた。
父を尊敬していた。い世界で戦う背を誇りにっていた。
けれど、今、目ので泣き崩れているこのれな男の姿は、のにいたの英雄よりも、遥かに々しく、遥かにく、健次の胸を打っていた。
「……お父さん」
健次は、父の丸まった肩に、そっとを置いた。
その肩は、記憶のの父よりもずっと骨張っていて、驚くほどえ切っていた。
「ご飯、べよう。母さんが、お豆腐とネギの噌汁を作って待ってるよ。お父さんの好きな、煮干しの汁のやつ」
父は涙に濡れた顔をげ、赤く腫らした目で息子を見つめ返した。
その瞳の奥にあった分いガラスの壁が、音をてて砕け散っていくのを、健次は確かにじていた。
夕暮れ、台所からはトントンとリズミカルにまな板を叩く音が響いていた。
買いしから戻った母は、のに何があったのかを察したのか、何も尋ねなかった。ただ、居のちゃぶ台のに、湯気をてるきな鍋と、炊きての麦飯の入ったお櫃を静かに置いた。
ちゃぶ台の央に置かれたのは、油揚げと豆腐、それにたっぷりの刻みネギが入った、い噌汁の椀だった。
父は、あの仕ての良い背広を脱ぎ、と同じ、褪せたの丹(はんてん)を羽織って座っていた。