"深夜の義実家" 第3話
私がインフルエンサーという自由な職業を選んだのも、その反だったのかもしれない。
しかし、から見れば華やかに見えるこの仕事も、内は像以に過酷だった。 世般がい描くような優雅な自由など、実際にはほとんどしない。移も滞も常にカメラを回し、夜遅くまで膨な画の編集作業に追われる。最初のうちは旅そのものを純粋に楽しむ余裕など微もなかった。 せっかく級旅館に宿泊しても、部にこもりきりでパソコンのキーボードを叩き続けて終わることも常茶飯事だった。そのため、私たち夫婦には「休」という確な概がほとんどしなかったのだ。
そんな私たちが、唯「休み」として仕事を休み、骨を休める期と決めていたのが、お盆の期の義実への帰省だった。 今も例通り、お盆の期にわせて義実に週ほど滞する計画を綿密にてていた。 ところが、その帰省を目に控えたある、義父の憲夫が急したという報がび込んできた。 因は急性筋梗塞だった。当、私たちは仕事の撮のためにアフリカに滞していた。連絡を受けた正彦は茫然自失となり、私たちは急遽すべてのスケジュールをキャンセルして本きのへとび乗った。
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席が確保できるかきたがしなかったが、奇跡ににい、私たちはなんとか義父の葬儀に参列することができたのだった。
葬儀のでの義母は、見るもなく憔悴しきっていた。 参列してくれた義父のたちに挨拶をしながら、何度もハンカチで涙を拭っていた。きりになってしまった義母を放っておくわけにはいかない。私と正彦はしばらく旅の予定をすべて延期し、義実に泊まり込んで義母の活を支えるつもりでいた。 だが、義母は私たちに向かって、痛々しいほど無理に作った笑顔を向けたのだった。
「あんたたち、自分たちの仕事を蔑ろにしては駄目よ。寄りがくなるなんて、自然の摂理なんだから気に病むことはないわ。私のしみにわせてあんたたちまで落ち込むなんて、本当にどうかしているわよ」 義母はそう言って無理やり涙を拭うと、きっぱりとした調で続けた。 「それに、あんたたち夫婦の収入は、あずささんの旅のお仕事が支えているんでしょう? く現に戻りなさい。私の配なんてしても何のしにもならないんだから」
そう言い残すと、義父の葬儀との法が終わった途端、義母は私たちを追いすようにして義実から送りしてしまった。 義母の気丈な振るいが逆に配だった私たちは、への渡航は見わせ、しばらくのは国内のホテルを拠点に移しながら活を続けていた。
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だが、話をかけるたびに義母はこう言った。 「どうしてずっと本にいるのよ。私はあんたたちの画を楽しみにしているのよ。現のお友達との交流とか、珍しいお産話を楽しみに待っているんだからね」 義母は私たちに余計な気遣いをさせまいと、努めてるく取り繕っているように見えた。
それからあっというにが経過し、義父の周忌の期がづいてきた。 周忌の法について相談しようと連絡を入れたのだが、義母は「お父さんときりで静かに過ごしたいから」と頑なに主張し、私たちを義実に寄らせようとしなかった。 本当にこのまま顔をさなくてもいいのだろうか。せめてお線の本でもあげにくべきではないかと、私と正彦は連話しっていた。 すると突然、義母の方から本の話がかかってきたのだ。
「お父さんの周忌はだとやっぱりしんみりしちゃうから、お盆の期にわせて帰ってきてちょうだい。それとね、お産は甘いお菓子がいいわ。甘いものでもないと、どうにも元気がなくってね」 受話器の向こうから聞こえる義母の弾んだ声に、私たちは胸を撫でろし、びでお産選びを始めた。
そして迎えた帰省当。 私たちは最限の撮材と着替えだけをまとめ、レンタカーを借り受けて発した。