"介護で表彰される嫁――私は認知症に仕立てられた" 第1話
「お義母さん、またお砂糖とお塩を違えたんですか?」
嫁の耶は、驚いたような声をしながらスマートフォンを私へ向けた。私は湯みの縁まで運んだを止め、いの入った容器を見直した。蓋には青い文字で《砂糖》とかれているのに、舌へ触れたはらかに塩だった。
「違うわ。この容器には、昨まで砂糖が入っていたのよ」
「そうやって、すぐのせいにするんですね」
耶はため息をつき、撮を続けた。ダイニングテーブルの向こうでは、2の孫娘・美が朝のトーストをにしたまま、私たちを見ていた。息子の直はすでに勤している。
私は68歳で、3かに自宅の階段で転び、首を骨折した。術しばらく暮らしが難しいという理由で、息子夫婦のへを寄せている。最初は2週の予定だったが、耶から「齢者の骨折は認症の始まりになる」と言われ、退院の様子を見てもらうことになった。
事代として毎5万円を渡し、できる事は引き受けていた。で洗濯物を畳み、朝は噌汁を作る。のギプスがれてからは、茶碗も洗った。それでも耶は、私が物を置き忘れた、同じ話をした、を消し忘れたと直へ報告するようになった。
「今の画、何に使うの?」
私が尋ねると、耶はスマートフォンをろした。
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族だけが見る介護記録で、医師へ状態を説するためだという。けれど以、私が夜にトイレを探す姿を撮ったも同じ説をしていた。トイレの扉には、普段ないい布が掛けられ、目印が隠されていた。
私は《砂糖》とかれた容器の蓋をけ、を指先で確かめた。やはり塩だった。隣の《塩》の容器には砂糖が入っている。昨夜、噌汁を作ったには逆ではなかった。
「入れ替えたでしょう」
「私が? 何のためにですか」
耶は笑った。美は線を落とし、トーストを皿へ戻した。私は孫が何かっているとじたが、そので問い詰めなかった。
午10、域包括支援センターの職員が来た。耶が、私の介護認定について相談していたらしい。私は初めて聞いたが、嫁は「先週、お義母さんご自も承しました」と説した。
職員から今の付や所、最の来事を尋ねられ、私はすべて答えた。骨折した、入院期、用の薬も違えなかった。すると耶は横から、「ではしっかりするんです。族のだと全然違って」と付け加えた。
「昨夜も夕飯をべたことを忘れて、2回目を求しました」
私はべたことを忘れていない。夕飯は午5で、薬をむため午8にヨーグルトが欲しいと言っただけだ。説しても、嫁はしそうな顔をして首を振った。
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職員は双方の話を記録し、改めて本だけで話す会を作ると言った。耶は玄関まで見送ったあと、私へ「余計なことを言うと、で見られなくなりますよ」と声で告げた。
「で見てもらっているつもりはないわ。が治ったら自宅へ戻る」
「暮らしは危険だと、直さんもっています」
耶は、私の自宅の鍵を持っていた。入院の郵便物を確認するため、直に預けた鍵だ。今は通帳も保険証も、「紛失を防ぐ」という理由で彼女が管理している。
午、私は自代わりに使っているで、血圧と薬をノートへいた。退院してから毎続けている。記憶が曖昧だと言われるたび、私は自分の覚まで疑いそうになったが、付の並んだ文字を見るとし落ち着いた。
その夜、美が戸を細くけた。
「おばあちゃん、朝の塩、私が見た」
孫は声を震わせ、古いタブレット端末を差しした。
画面には、私がお茶へ塩を入れる画が投稿されていた。
再回数は186万回。
画の題名は、《認症の姑に毎責められる嫁の朝》だった。
耶のアカウント名は《さやかの介護記》だった。フォロワーは32万を超え、プロフィールには《認症の姑を宅で支える40歳》《族を諦めない》とかれている。私は自分が撮されていたことはっていたが、映像が公されているとはらなかった。
投稿は半から始まっていた。最初は同居活の夫や齢者向けの事を紹介している。