"診察室に入れなかった私" 第5話
このは、本当に悪魔のようななのか? それとも、私のらない別の何かが、このを狂わせているのか?
「……健、すごくいい匂いがする」
私が努めて自然な声を作って言うと、健は子犬のように嬉しそうに目を細めました。
「だろ? 骨付きの鶏モモ肉を煮込んだんだ。ネギも姜もたっぷり入れたから、千の体も赤ちゃんの体も芯から温まるよ。さあ、洗いうがいしておいで。すぐによそるから」
健は私の背を優しく押し、キッチンへと戻っていきました。
私は洗面所に向かい、うがいをしてを洗いました。 鏡に映る自分の顔は、青ざめてはいましたが、瞳の奥には徹なが灯っていました。 洗面台の横に置かれたバッグから、スマートフォンを取りします。 録音アプリを起し、録音始のボタンをタップしました。 タイマーの数字が、静かにみ始めます。 私はスマートフォンをエプロンのポケットに滑り込ませ、マイク部分が布で擦れないよう、慎に位置を調しました。
そして、バッグの底からあのA4の封筒を取りし、半分に折って、エプロンの内側に隠しました。
リビングに戻ると、ダイニングテーブルのには、湯気をてるい陶器のスープボウルがつ並べられていました。 副菜にはほうれんのお浸しと、かぼちゃの煮物。
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妊婦の体を気遣った、完璧な献です。
「ほら、座って座って」
健が甲斐甲斐しく私の子を引き、膝掛けをかけてくれます。 自分も対面の席に腰をろし、両をわせました。
「いただきます」
「いただきます……」
健はレンゲをに取り、美しそうにスープを啜りました。 「うん、いい汁がてる。千、いから気をつけてんでね」
私はレンゲをかさず、ただ湯気の向こうにある夫の顔を見つめました。 った目ち。しがり気の優しい眉。 会社の同僚からも「ったところを見たことがない」と言われる温な柄。
「……ねえ、健」
静かに、呼びかけました。
「ん? どうした? にわない?」
健が首をかしげます。
「今の産検ね、だったから、神先とゆっくりお話しできたの」
私の言葉に、健がスープをに運ぼうとしていたレンゲのきが、ほんの瞬、ミリ単位で止まりました。 本当に、見逃してしまいそうなほど微かな違でした。
「……へえ、そうなんだ。先、いつも忙しそうだから珍しいね。で、やっぱり順調だって言われただろ? 赤ちゃんの体、増えてた?」
健はすぐに破顔し、何事もなかったかのように微笑みながら尋ねてきました。 その淀みのなさに、私は背筋が寒くなるのを覚えました。
「ええ、体は千百グラムになってたわ。でもね……先、変なことを仰るの」
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私はテーブルので、エプロンのポケットにあるスマートフォンをそっと触りました。
「変なこと?」
健の眉が、わずかに寄りました。
「神先ね、急に怖い顔をして私に聞いたのよ。『佐藤さん、どうして過回も、頑なに治療や検査を拒否し続けたんですか?』って」
リビングの空気が、ふっと希になったような気がしました。
健の表から、すっと笑顔が消えました。 まるで能面のように、きを失った顔。
「先、おっしゃってたわ。私が糖耐量検査の再検査も、胎盤の血流を見る精密検査も、張り止めの薬も、全部『薬に頼りたくない』『自然に産みたい』って言って泣いて拒絶したって。カルテにそういてあるのを見せてもらったの」
健の喉仏が、トクンときくしました。
「おかしいわよね? 私、そんなこと度も言っていないのに。だってその回、私、診察にすら入っていないんだもの。健が『で話を聞いてくるから待ってて』って言ったから、ラウンジで待っていただけだものね」
私はゆっくりと顔をげ、夫の目をまっすぐに見据えました。
「ねえ、健。神先、きっとの患者さんとカルテを取り違えて勘違いしちゃったのよね? ……まさか、あなたが先にそんな嘘をつくはず、ないものね?」
静寂が、部を支配しました。 キッチンの換気扇が回るい音だけが、障りに響いています。
健はピクリともきませんでした。 にしたレンゲから、スープの滴がポタ、ポタとテーブルのに垂れ落ちていきます。