"昭和40年、15歳で東京へ出た少年" 第13話
自分自もまた、その歯を回すためにをり、京ので鉄を削り続けているにならなかったからです。
歳になった、ミノルは旋盤としての確固たる位を築いていました。 図面を見れば、ので瞬に削りの程が体に組みがり、ミクロン単位の誤差を先の覚だけで修正できる腕になっていました。 には、毎のようにや州からしい卒のたちが送り込まれてきました。
「朝倉先輩、この図面の公差、どうやってわせればいいんですか……」 油まみれの軍でおずおずと図面を差ししてくる、垢抜けない入りの。 その怯えたような、けれど必にすがる瞳を見た瞬、ミノルはいつも、あの昭のの朝、野駅のホームにりった自分自の姿をいしました。
「焦るな」 ミノルはの肩にを置き、かつて佐藤社が自分にしてくれたように、万力に鉄の棒を固定して見せました。 「力を込めるんじゃない。鉄の声を聞くんだ。……おが懸命をかけてやりゃ、鉄は絶対に裏切らねえから」
がさく頷き、レバーにを掛けました。 キュルキュルと澄んだ音をててちる、青い切削の煙。 その煙の向こうに、ミノルは過ぎった激のと、この国を底の底から押しげてきた無数の名もなきの平の連なりを、確かに見たような気がしました。
広告
あれから、の歳が流れました。
〇〇代の京。 かつて協精製作所が油煙を吐きしていた町のは、すっかり様変わりしていました。 トタン根の群は姿を消し、ぎれいな分譲マンションや瀟洒なカフェ、コインパーキングが然と並ぶ静かな宅へと変貌を遂げていました。 運のは浄化され、かつて悪臭を放っていたには、美しく備された遊歩と桜並が続いています。
朝倉ミノルは、いま、歳を迎えていました。 代の終わりに、職の紹介でりった同じの女性と結婚し、の子どもを育てげました。 度経済成の波に乗り、万円からコツコツと貯めた預で、郊に願の建売宅をに入れ、子どもたちを学まで学させました。 かつて自分が歳で断せざるを得なかった「学問の」を、自分の子どもたちに歩ませることができたとき、ミノルはの最の荷をようやくろしたような堵を覚えたものでした。
今では、孫もきくなり、ミノル自もすっかり髪の目つ、穏やかな好々爺となっていました。 けれど、その体には、あの激の昭をきた消えない証が、今なおしっかりと刻み込まれていました。 のち仕事でし曲がった腰。
広告
属のバリで幾度となく切り裂かれた、の甲の無数のい古傷。 そして、どんなに洗っても完全に落ちることはなかった、の爪の隙に微かに残る、黒い械油の痕跡。 それらは、彼がこの国の最もかった代を、己の肉体つで潜り抜けてきた、何より誇らしい勲章でした。
自宅のリビングのさな仏壇には、若きの父と母の黒写真が並んで飾られています。 父はあの発ののようにい表で正面を見据え、母はし首を傾げて優しく微笑んでいます。 毎朝、仏飯を供え、線をあげてをわせるのが、ミノルの課でした。 「お父ちゃん、お母ちゃん。……おかげさまで、俺もここまできてこられましたよ」 ので語りかける言葉は、今でもあの懐かしい故郷の訛りのままでした。
あるの、になった孫のが、学の本史の授業で使う資料集を広げながら、ミノルの部にやってきました。 「おじいちゃん、これ見てよ。『集団就職列』っていてあるんだけど……おじいちゃんも、これに乗って京に来たの?」
かれたページには、昭代初、野駅のホームを埋め尽くす、詰襟姿のたちの写真が掲載されていました。荷物を抱え、そうにカメラを見つめる丸刈りのたち。 ミノルは老鏡の位置を直し、その写真をい、黙って見つめました。