"昭和40年、15歳で東京へ出た少年" 第8話
誰かがふと漏らした故郷の話題に、湯舟のざわめきがふっと静まることがありました。 湯気のに浮かぶ仲たちの顔は、昼の厳しい作業員の顔から、瞬だけ歳のの素顔へと戻っていました。
夜、消灯ラッパならぬ寮の点呼が終わると、部の灯が消され、内はいに包まれました。 隣ののトタン根を叩く夜の音、くをる都の軌音。 静まり返った暗の底から、折、微かな擦れの音とともに、誰かが布団のでシクシクと押し殺した声でをすする音が聞こえてくる夜がありました。 吉なのか、佐々なのか、それとも成田なのか。 誰もその音を咎めませんでした。灯りを点けて顔を覗き込むような無神経な真似も決してしませんでした。 誰もが、自分の敷布団のたさを抱きしめながら、暗ので同じように族の顔をいし、胸を締め付けられていたからです。
ミノルもまた、枕に顔を押し当てて涙を流した夜がありました。 そんな夜には決まって、発の朝に母が握ってくれたあの塩辛い梅干しのと、父がでかけてくれた「体を、事にしろ」というぶっきらぼうな声を、呪文のようにので繰り返しました。
に度の曜には、で連れって浅や野のへ繰りしました。
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ショーウィンドウに並ぶトランジスタラジオや、舶来の腕計、映画館の極彩の板。 自分たちの財布のでは到底の届かない豪奢な品々を、ただ指をくわえて眺めるだけのウインドウショッピングでした。それでも、杯円のラムネをみ、仲見世の煎餅を分けってべるだけで、彼らはの世界の角にを踏み入れたような誇らしさをじていました。
しかし、その部の平穏も、くは続きませんでした。 が終わる頃、番柄で無だった富の佐々が、を械に挟まれて薬指を骨折したことをきっかけに、「田舎へ帰りたい」と言いしたのです。 社や主任が引き留めましたが、のはすでに限界を超えていました。
見送りの、は野駅の改札まで佐々を送っていきました。 佐々のには、かと同じ汚れたボストンバッグが握られていました。 「元気でな、佐々。田舎帰っても、百姓伝ってしっかりやれよ」 吉がぶっきらぼうに肩を叩きました。 佐々はを向いたまま、涙でぐしゃぐしゃになった顔をげ、さくをげました。 「……みんな、すまんかったな。俺、根性なしで……すまんかった」 改札の向こうへと消えていく佐々のろ姿を、ミノルは野駅のい井ので見送りました。
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その、佐々から便りが届くことは度とありませんでした。
空いた部の畳には、数、また別の方からやってきた、しいが荷物を抱えて入ってきました。 会いと別れが、目まぐるしい代の奔流ので繰り返されていく。 そうやってたちは、誰に教えられるともなく、がきていくことの厳しさと、度とは戻らないの逆さを、をもって学んでいったのでした。
働き始めてからかが過ぎたの、そのは朝から全体の空気がどこか浮きっていました。 旋盤の油を拭く先輩たちの先もなしか軽やかで、休憩の煙の煙も、いつもより濃くちっているように見えました。 待ちに待った、最初の料でした。
夕方の終業を告げるサイレンが鳴り響いた、員たちは作業着の袖の油を落とし、事務所のに並びました。 佐藤社が、机のに然と積まれた茶の封筒を、ひとりの名を呼びながら渡していきます。 「朝倉ミノル」 「はい!」 ミノルは緊張で裏返りそうになる声を張りげ、脱して両を差ししました。
渡された茶封筒は、驚くほどずっしりとしたみを持っていました。 表には毛で『千百円』と几帳面に記され、控除欄には寮費と費、健康保険料の額が細かく引かれていました。
取り額、およそ千数百円。 千円札が枚と、百円玉が数枚。