"昭和40年、15歳で東京へ出た少年" 第1話
も半ばを過ぎたというのに、のあいに位置するそのさな集落には、まだく湿った残が消え残っていました。当たりの悪い側の杉林や萱葺き根の面には青いの塊がへばりつき、朝の気配は、吐く息を瞬にしてい煙へと変えてしまいます。
の裏を流れるさな沢の音だけが、の眠りから覚めかけたたい響きをてていました。になれば裏の解けをみ込んでかさを増すその清流のほとりで、ミノルはまれ、の歳を過ごしました。
父は、典型なの百姓でした。からにかけてはわずかな棚田と畑を耕し、作物が取れなくなるのは、奥に入ってを伐り、炭を焼く子(やまご)の仕事をしていました。 誰よりもく、夜けの暗ので起きし、誰よりも遅く、囲炉裏のが消えかける頃まで藁細や具の入れに精をすでした。
寡黙という言葉ですらりないほど、父は言葉を持たないでした。ミノルに何かを教えるときも、講釈を垂れるようなことは度としてありませんでした。鍬を握る角度も、鎌の刃の研ぎ方も、縄を綯うの平の返し方も、父はただ黙って息をえ、自分のろ姿で見せるだけでした。
その父が、発の朝、につミノルのに珍しく歩み寄ってきました。
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使い古した袋を履き、に焼けてい溝の刻まれた顔をかすかに歪め、じっと息子の目を見つめました。そして、く濁った声で、ただ言だけにしたのです。
「体を、事にしろ」
それだけでした。達者でいろとも、を稼いでこいとも言いませんでした。く、そっけない言。けれど、そのい言葉のに、器用な父が絞りせる限りの祈りが込められていることを、ミノルはになって、何という歳が流れたあとも、胸の奥で反芻することになります。
母は、の晩からもしていませんでした。 の竈のを絶やさぬよう、薪をくべながら、の皮に包んだ握り飯をいくつも握っていました。塩をめに効かせた握り飯のには、自製の塩辛い真っ赤な梅干しがつずつ押し込まれ、その脇には黄い沢庵が切れ添えられていました。 豊かな暮らしなど望むべくもない代でした。貧しいの母親にできる精杯の餞別は、息子が汽ので飢えないよう、えても固くならないようを込めて米を握ることだけでした。
「京のは、おの体にわんかもしれん。腹をやさんよう、気をつけてな」
母はそう言いながら、ミノルの肩に掛けられた布鞄の底へ、さな包みをそっと滑り込ませました。になって内でけてみると、それは使い古した絣の布切れを母が夜なべで縫いしたさな巾着袋で、には百円玉と円玉が何枚か、そうにを寄せっていました。
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いつのに、どうやって面した銭なのか、ミノルには見当もつきませんでした。計の苦しさは、男であるミノルが番よくっていました。母はそうした苦労を、決して自分からはにさないでした。
のがり框には、まだ事のさをよく呑み込めていない様子の弟と妹が並んで座り、見慣れない詰襟の学にを包んだ兄を見げていました。
「兄ちゃん、京って、どんなとこさ?」 歳になる弟が、無邪気な声で尋ねました。 ミノル自、京など見たこともありませんでした。学の教科や、の役にある黒テレビの画面の向こうに広がる、層ビルと自の群れ。おぼろげな識しか持ちわせていないミノルは、詰襟の首元をし緩めながら、精杯びた声で答えました。
「……すげえ、広いところらしいぞ。がうじゃうじゃいて、夜でも昼みたいにるいんだそうだ」
歳の妹は、その言葉のが分からないまま、ミノルのズボンの裾をさな指先でぎゅっと引っ張りました。かないでくれと言うわけでもなく、ただそうに、濡れた瞳で兄を見げていました。そのさなの温もりとしげな差しを、ミノルは涯忘れることができませんでした。