"車椅子の姑を1年間介護したのに、遺産は1円もいらない嫁が家を出た日" 第1話
1円もいらない
「世田のも預も、すべて男の健太に譲ります。嫁の綾には1円も渡しません」
70歳の誕を祝う36の客ので、子の芳子はそう言い切った。
座の料亭に拍は起こらなかった。屏のに並べられた祝い膳から湯気だけがち、誰かが置いた盃の音が、妙にきく響いた。
綾は客席ではなく、配膳の脇にっていた。芳子に命じられ、30以のの着物を着せられたまま、朝から祝い膳を運び続けていた。帯には醤油がび、慣れない履で擦れた踵には血がにじんでいる。それでも芳子は、親戚に向かって「に置いてやっている嫁だから、これくらい当然」と笑っていた。
田綾は、赤く腫れたをで押さえていた。し、客に押された盆からいすき焼きの汁がこぼれ、の甲から首までを焼いたのだ。それでも夫の健太が最初に駆け寄ったのは妻ではない。芳子が着ていた200万円の訪問着だった。
「母さん、染みになったら変だ」
健太は妻の疱を度見ただけで、着物の裾をナプキンで拭き続けた。
綾は、その横顔を見たにようやく理解した。教師の仕事を辞め、毎朝4に起き、週3回の透析へ子を押して通った365は、このでは度も「献」ではなかった。無料で使える嫁が、当然の仕事をしただけなのだ。
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健太が度でも「を見せて」と言えば、まだ迷ったかもしれない。しかし夫は、着物の染みがくなったことを確かめると、したように息を吐いただけだった。その横で芳子は、傷をした綾にの鍋を片づけるよう顎で示した。
芳子は満げに顎をげた。
「これで財産目当てのも諦めるでしょう。綾さん、あなたは今まで通り、私の世話だけしていればいいの」
健太の姉・恵子と弟・徹が、台脇でく笑った。母親の介護を綾に押しつけたまま、相続の話がただけ現れる2だった。
綾も笑った。
その表が予と違ったのか、芳子のが子の肘掛けから浮いた。
「お義母さん。私は最初から、あなたの法定相続ではありません」
綾は古びたの着物の帯を解き、そのに着ていたいブラウスをえた。
「ですから、遺産は1円もいりません。ただし、私にはあなたを無償で介護し続ける義務もありません」
入の係に預けていた黒いスーツケースが運ばれてきた。綾はその取っを握り、もう方のでい封筒をテーブルに置いた。
「今夜の薬、朝の事、透析の予約、担当のケアマネジャーと緊急連絡先です。今ここには、実の子どもが3そろっています。引き継ぎは済ませました」
封筒の表には《介護引継》と印刷され、薬はごとに袋へ分けられていた。
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綾が衝に病を置きりにしたのではないことは、誰の目にもらかだった。料亭の女将も、先ほどから入のそばで部始終を見ていた。
「ちょっと待ちなさい」
恵子の声から余裕が消えた。徹はスマートフォンを伏せ、健太はようやく妻の包帯もないを見た。
芳子がを乗りした。
「ていくって、今夜の着替えは誰がするの。の透析はどうするのよ」
「ご自分たちで相談してください」
綾は礼し、料亭の廊へた。背で子の属が鳴り、芳子が初めて彼女の名を叫んだが、を止めなかった。
たい夜気に触れた途端、傷の痛みが脈を打って戻ってきた。それでも、背は議なほど軽かった。
黒いスーツケースの輪が畳の継ぎ目を越えるたび、乾いた音がした。綾は度だけ料亭の階を見げたが、窓辺に健太の姿はなかった。追いかけてきたのは夫ではなく、震え続けるスマートフォンだけだった。
タクシーが座をれる頃、スマートフォンには健太から17件目の着信が表示されていた。