"継母が私に遺した「価値ゼロ」の古民家" 第1話
の湿り気を帯びた苦しい空気が、都のビルをすっぽりと覆い尽くしていた。
都内の等にオフィスを構える法律事務所の特別応接。遮音性のいな製ドアの向こうからは、をるの音すら届かず、壁に掛けられたスイス製のきな掛け計が刻む規則正しい秒針の音だけが、障りなほど瞭に内に響き渡っていた。
本革張りの黒いソファはたくく、く腰掛けても体に馴染むことはない。(あすか・歳)は、膝ので揃えた両の指をく握りしめ、背筋を張らせたまま俯いていた。
対面のソファには、義理の兄である志(たかし・歳)と、義理の姉である絵美子(えみこ・歳)が並んで座っている。
は喪がけてもないというのに、くもの装飾が施された級ブランドのをに纏っていた。志は袖から覗くロレックスのクロノグラフをチラチラと何度も見やりながら、落ち着きのない様子で貧乏ゆすりを繰り返している。襟元を緩めたネクタイは派な柄で、母親をくしたばかりの息子の悼の気配など微もじられない。
その隣で、絵美子はエルメスのバーキンを抱え込み、指先に施された原のネイルアートをカチカチと鳴らしながら、元のスマートフォンをフリックしていた。
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「ねえ、お兄ちゃん。お母さんの遺産、現は病院の治療費でほとんど残ってないらしいけど、産がかなりあるみたいよ」
絵美子が応接に響き渡るような甲い声で、志の元に囁きかけた。
「ああ、親父がに残した都内のを、お袋が法名義や個名義でいくつも転がしてたからな。港区、宿区、渋区の等ばかりだ。全部わせりゃ、更にしようがそのまま売ろうが数億円には化ける。全部現化すれば、俺たちもようやくこの息苦しい活から解放されるぜ」
志は計算を終えた商のような卑しい笑みを浮かべ、ゆったりと革張りの背もたれに体を預けた。
の母親――にとっては育ての母である良子(よしこ・享)が息を引き取ってから、まだ週しか経っていなかった。
良子の晩は、壮絶な闘病活だった。に見つかった悪性腫瘍は容赦なく全を蝕み、入退院を繰り返す々。そのいの、実の子である志と絵美子が病に顔をしたのは、数えるほどしかなかった。「仕事が忙しい」「病院の消毒液の匂いが苦だ」と言い訳を並べて、母親のオムツの交換から清拭、夜のナースコールへの対応、果ては々の莫な入院費用の支払い続きに至るまで、すべての負担を派遣社員として働くに押し付けていたのだ。
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それでも、は度も満を漏らさなかった。
歳の、実の母をくして孤児になりかけたを引き取り、育ててくれたのは良子だった。血の繋がりこそなかったが、にとって良子は世界でたったの母親であり、その恩に報いたいという純粋な謝だけが、過酷な介護活を支え続けていた。
ガチャリ、といドアノブが回り、良子の顧問弁護士を務める佐藤が入してきた。
仕てのよいダークスーツに縁の鏡をかけた初老の弁護士は、にした革製のアタッシュケースから、厳に封印された分い茶の封筒を取りし、机の央へと置いた。
「変お待たせいたしました。これより、被相続・宅良子様の公正証遺言を封し、読みげさせていただきます」
佐藤のく抑えられた声が内に響いた瞬、志と絵美子はを乗りし、獲物を狙う獣のようにその封筒を凝した。
はただ、膝のの拳をさらにく握りしめた。血の繋がりがない自分には、実子であるのような法な遺留分を主張する権利など最初からしない。どれほど理尽な内容であろうと、決して取り乱してはならないと、ので何度も自分に言い聞かせていた。
ペーパーナイフがを切り裂く、乾いた鋭い音が内に響く。
佐藤は鏡の位置を正し、取りしたの便箋を両で押し広げた。