"昭和51年、帰宅目前で消えた25歳女性社員" 第2話
頃は夜になると川崎のあたりも物騒だから、遅くなったら慮しないでタクシーをお使いなさいよ』
「うん、分かってる。丈夫だから。あまり配しないで待っててね」
「気をつけてね」という母の温かい声をの奥に残し、みち子は受話器をフックに戻した。属のたい触が指先に残る。
それが、する母と言葉を交わす涯最の瞬になるとは、こののみち子はにもっていなかった。
夕暮れの18。退社刻を告げるサイレンが帯の空に響き渡ると、精の正面玄関には経理課のメンバーが集まり始めていた。
集まったのは総勢8名。主催者である田課をに、男性社員が5名、みち子を含む女性社員が3名だった。え込みが段と厳しさを増す、みち子は黒いウールのハーフコートの襟元をかきわせ、吐く息をく染めながら元を見つめていた。
「川島さん、寒いですね」
横から柔らかな声がかけられた。顔をげると、入社5目の男性社員・佐藤(28歳)がっていた。みち子より3歳で、真面目で実直な仕事ぶりから経理課内でも信頼されている青だった。業務で伝票のやり取りをする会がく、昼休みの湯などでもない雑談を交わす柄でもあった。
「あ、佐藤さん。本当にえ込んできましたね」
広告
「課のみ会ですからね、腰を据えて付きうことになりそうです。川島さん、お酒あまりくないでしょう? 無理しなくていいですから、困ったら僕に言ってください」
佐藤の気遣わしげな差しに、みち子は胸の奥がしだけ温かくなるのを覚えた。「ありがとうございます」と声で返し、は川崎駅へと向かう線バスに乗り込んだ。
曜の夜の駅歓楽は、週の過酷な労働から解放されたサラリーマンや員たちの狂で膨れがっていた。赤提灯のかりが軒を連ね、焼き鳥のタレが焦げる匂いと煮込みの湯気がにち込めている。どのからも嬌声とグラスのぶつかりう音が漏れしていた。
が入ったのは、駅の雑居ビル2階にある衆割烹居酒だった。使い込まれた畳敷きの座敷にがると、煙がく漂い、奥のテーブル席へ案内される。座にどっかりと腰をろした田が、満面に笑みを湛えてビールジョッキをく掲げた。
「おい、みんな揃ったな! 今期の属との取引成、が経理課の迅速なサポートがあってこその勝利だ! 今夜は無礼講だ、底抜けにむぞ! 乾杯!」
「乾杯!」
号のような唱とともに、分いガラスジョッキが斉に打ちわされた。
刺の盛りわせ、盛りの枝豆、ばしく焼かれた焼き鳥の皿が次々と運ばれてくる。
広告
ビール、燗酒、ハイボールと、次から次へと空いた徳利や瓶が転がっていった。若い男性社員たちは司の嫌を損ねまいと、田の空になりかけたグラスへ競うようにビールを注ぎす。
みち子はさなグラスを両で持ち、をつけるふりをしながら、周囲の狂騒からしを引いていた。苦いビールのが舌を痺れさせる。
「おいおい、川島君! 全然減ってないじゃないか! 俺の注いだ酒がめないってのか?」
酒がんで赤ら顔になった田が、ビール瓶を片に座布団を詰めてきた。
「あ、申し訳ありません、課。しお酒にくて……」
「まあまあ課、川島さんは女性ですから。その分、僕がいただきますよ」
隣に座っていた佐藤がすかさず割って入り、自らのグラスを差しして田の注を逸らしてくれた。田は「おう、佐藤! 頼もしいな、おが全部干せ!」と豪に笑い、佐藤のグラスになみなみと酒を注ぎ込んだ。
みち子は佐藤に目礼で謝を伝えたが、宴席の喧騒は向に収まる気配がなかった。壁掛け計の針が21を回った頃、すでにみち子の疲労は限界に達していた。の芯がく、胃のあたりが締め付けられるように痛む。く静かな自分の部へ帰りたいという願いだけが、胸ので膨らんでいった。
しかし、21半を過ぎたところで田がちがり、声で宣言した。
「よし! 景気付けに次会くぞ! 駅の裏のスナックを押さえてある!」