"父の逝った夜の車" 第17話
伯父の指と同じ、械油の匂いが染み付いていた。
子に腰をろし、私は震える指でその財布をいた。 に入っていたのは、千円札が枚と、数百円の銭だけだった。 クレジットカードも、ポイントカードもない。期限の切れたスーパーの売り券と、古びた保険証。
そして、透なビニールのポケットには、枚の写真が入っていた。 、へったの写真だった。 まださかった健兄ちゃんと、美咲と、私が、砂浜で笑っている。 その写真の端は、伯父が何度も指で撫でたのだろう、擦り切れてくなっていた。
写真の裏側に、何かいものが挟まれているのに気づいた。
ファスナーのついたさなポケットの奥。 普段は絶対にけないようない隙に、さく折りたたまれた枚のが、滑り込ませるように隠されていた。
私は指先を差し入れ、そのをつまみした。
つ折りにされたは、の湿気と油を吸って茶く変し、折り目が擦り切れてセロハンテープで補されていた。 病院の領収のような、独特のみのあるだった。
胸の奥が、激しく警鐘を鳴らしていた。 見てはならないもののような気がした。けれど、私の指は止まらなかった。
セロハンテープを傷つけないように、慎にをいた。
番に印刷されていたのは、この病院の名だった。
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『県央病院 脳神経科』
そして、そのに並ぶ活字を読んだ瞬、私の息が完全に止まった。
患者氏名:沢渡 正彦(歳) 診断:平成
――平成。 父がんだ、あの台の事故の、ヶの付だった。
線をへらせる。 黒いペンでかれた医師のカルテの写しと、診断名。
病名:膠芽腫(グリオブラストーマ・ステージIV) 所見:側葉に広範な浸潤性腫瘍を確認。術による完全切除は極めて困難。 予:無治療の、余命約〜ヶ。放射線および化学療法をったでも、率は極めてい。本への告済み。
悪性脳腫瘍。 余命、ヶから半。
「……え?」
私のから、乾いた空気が漏れた。
文字のが、脳の処理能力を超えていた。 何度も読んだ。付を確かめた。名を確かめた。 違いなく、父の名だった。 違いなく、あの事故のヶに、父はこの病院で、余命宣告を受けていたのだ。
父は、病気だった? 治らない、余命いくばくもない状態だった?
では、なぜ。 なぜこの診断を、伯父が持っているのか。 、肌さず、擦り切れるまで財布の奥底に隠し持っていたのか。
『子どもたちにだけは、父親が名誉なに方をしたとわせてはならない』 母のの節が、鳴のようにので轟いた。
『正彦さんが命を賭して守ろうとしたもの』
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ののパズルが、音をてて崩壊し、まったく別の、恐ろしい形へと組み替えられていく。
事故じゃなかった。 過失でもなかった。
父は――っていたのだ。 自分の命が、もうくないことを。 そして、あの暴の夜、ブレーキの利かない軽トラックの鍵を奪って、自らあの峠へと向かったのだ。
「お父さん……?」
私のから、診断がハラハラと滑り落ち、いリノリウムのにい散った。
処置のい扉がき、ストレッチャーがガラガラと輪の音をてて運びされてきた。 呼吸器の規則な械音とともに、全に管を繋がれた伯父の姿が現れた。
その蒼な顔を見つめながら、私は声もなくち尽くしていた。
のに落ちたつ折りの片を、兄の健が信じられないものを見るような目で見つめていた。
救命救急センターのたい蛍灯ので、の折り目を止めていたセロハンテープが、黄く濁って鈍いを反射している。 兄は膝をつき、震える指先でそのを拾いげた。
「……なんだ、これ」
掠れた声だった。 隣にしゃがみ込んだ姉の美咲も、兄の肩越しにその面を覗き込んだ。
『患者氏名:沢渡正彦』 『病名:膠芽腫(グリオブラストーマ・ステージIV)』 『診断:平成』
に印字された文字を追う兄の目が、激しく泳いだ。 喉仏がし、元が痙攣するように引き攣れる。
「……お父さん……? なんで……脳腫瘍……?」
「って……事故の、ヶよ」