"七歳の女の子が握りしめた富士山の木札" 第17話
若林さんは受け取らなかった。今井さんはそれをのれんのの台に置いて、また腰を折った。
「本はこれで失礼いたします」
背を向けて、それから1度だけ振り返った。
「お嬢様、5つの頃、朝私が幼稚園までお送りしておりました。覚えておいでではないといますが……」
「覚えています」
「今井さんが使うトラックの助席に、座布団が敷いてありました。お嬢様の席でございましたので……」
若林さんはそこでをつぐんだ。今井さんはもう度腰を折って、坂をりていった。
その夜、を閉めてからも俺たちは言も話さなかった。封筒は番台の隅に置かれていた。
「宮さん、今は先にがらせてください」
「わかりました。無理を言ってすみません」
「今は客もなかったですし、片付けもくないので気にしないでください」
若林さんはエプロンを畳み、のを引いて坂をりていった。俺は々と聞きたかったが、何1つ聞けなかった。
休みが始まると、朝6から町内会が隣の空きでラジオ体操を始めた。俺は5に起きて釜にを入れる。いつも暗いから焚きのに座って薪をくべる。もるくなり、6ちょうどの空きから音楽が流れてくると、いつも同じことをう。この音を俺は物ついた頃から毎ここで聞いている。祖父も父も同じ所で聞いていた。
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6半になると汗だくの子供たちがそのままに入ってくる。
「るな、転ぶぞ」
「おはようございます!」
休みだけの朝だ。祖父の代からの決まりで、この期は朝から湯を張る。町内会が判子とカードを番台に預けていった。毎呂がりにカードに判子を押すのが、いつのにか俺の役割になっていた。今は判子係をがやった。
「はい、次の」
1ずつ受け取って、力いっぱい押す。3目、は自分のカードに判子をしているうちに破れてしまった。
「破れた……」
「そんなに力を入れなくていいのよ」
「真っすぐしたかったの。裏にを貼っとけ」
「破れたら休んだことになる」
「ならないだろう」
「なる。全部、判子をもらえないんだよ」
「何がもらえるんだ?」
「ノートと鉛」
「そりゃ事だな」
カードを直したは、若林さんがのカードに判子をしてやった。はそれをじっと見ていた。
「はこのカードを持ってなかった」
「ラジオ体操かなかったのか?」
「朝はお母さんが寝てるから、はあまり1ではかけなかった」
会話を聞いていた若林さんは何も言わずに、次の子のカードを受け取った。
朝湯の客は皆、必ず牛乳を買った。そのは若林さんが瓶を数えるのが追いつかないほど売れた。朝に来たが夕方にも来るようになって、番台の数字はの同じをはっきり超えた。
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のれんのでが友達に向かって言っているのが聞こえた。
「ここ、うちのお呂だから!」
俺は番台でを止めた。聞こえなかったふりをして帳面をめくった。
7の終わり、は8歳になった。その、俺はの1番呂を貸し切りにした。このの湯には桃の葉を入れた袋を浮かべる。今は珍しく朝から呂に入ったに、俺は男湯から朝の準備をしつつ声をかけた。
「今の湯はどうだ?」
「とってもいい匂いがする。いつもと違って特別だね」
「誕だからな。何か欲しいものはあるか?」
「何にもいらない」
「慮するな。菓子でも本でもいいぞ」
「うん、欲しいものない」
「考えたことないのか?」
「欲しいって言うとお母さんが困るから」
は湯のでを揺らしていた。俺はそれ以何も聞けなかった。欲しいものを聞かれて答えられないのは、この子だけではない。俺も35ずっとそうだ。
そんな、今井さんが2度目に来たのは8に入ってすぐだった。
「旦様がお会いになりたいと申しております」
「会って何を話すんですか?」
「私からは申しげられません。ただ、旦様はもう70を過ぎておられます」
今井さんは無理に押さなかった。だが、若林さんはしを置いて答えた。
「し、考えさせてください」
以のようにすぐには断らなかった。俺は番台で2のやり取りを聞いていた。
しばらくして今井さんは先で腰を折って、丁寧に帰っていった。
その姿に俺は何も言わなかった。