"退職金と三百万円の借金" 第14話
浦部は満そうに鏡の奥の目を細めた。
「これで、借用の件は名実ともに帳消しです。林さんのの輝かしい功績に、何つがつくことはありません。さあ、こちらに退職受託の最終署名と捺印をいただければ、すべての続きは無事に終となります」
差しされた級な黒インクのサインペン。
浦部にとっては、これが組織としての「最善の配慮」であり、「の決着」なのだろう。役員がポケットマネーで始末を埋め、引退する功労者に満額のを渡し、社内の波をてずに件落着とする。
私はペンにはを伸ばさず、静かに鞄をけた。
「……林さん?」
審そうに眉をひそめる浦部のに、私は鞄から取りしたものを、順序よく並べて置いた。
男の黒い帳。 平成の凍倉庫C棟の事故報告。 そして、に起票された、都送宛ての百万円の納伝票。
が机に触れる乾いた音が、静まり返った部に響いた。
川常務の眉が、わずかにピクリとねがった。
「これは、体なんの真似かね」
常務の声が、段くなった。
「川常務。浦部」
私は両を太ももの横に揃え、背筋を真っ直ぐに伸ばしてを見据えた。
「私は、特別裁量による帳消しなど受け入れません。この百万円の借用は、最初からしてはならないものでした。
広告
私が借りたものではないからです。そして――男さんが借りたものでもありません」
「静枝さん、君はまだそんなことを……!」
「聞いてください!」
私の鋭い声が、会議の空気を切り裂いた。
「この帳は、夫の男がくなるまで肌さず持っていた業務記録です。の未、佐野君の操作ミスによって凍倉庫の源が遮断され、級材が全滅しました。損害額は百万円。……そしてその、私の夫は、代替品の確保と事故の隠蔽のために眠休で駆けずり回った末に、筋梗塞で急逝しました」
浦部が目を見き、信じられないという顔で佐野を見た。
佐野は肩を激しく震わせ、唇を噛み締めてを見つめている。
「男のから、私が喪主として葬の炉のにいた。川常務、あなたは私のデスクから印鑑を持ちし、私の名を勝に使って『従業員福祉貸付』を申請しました。そしてその百万円の切は、事故の代替品を融通してくれた請け業者、都送への裏の支払いに充てられた」
私はテーブルのに置かれた帳を指差し、川常務の目を真っ向から射抜いた。
「常務。佐野君から聞きました。あなたは私の印鑑を持ちす際、『林に入るはずの数千万円のが消えてなくなる、林さんを救うためだ』とおっしゃったそうですね」
広告
内の温度が、気に数度がったような錯覚を覚えた。
浦部の顔から、完全に血の気が引いていた。事のトップとして、その言葉の持つ法な、そして制度なを瞬に理解したからだ。
「……川常務。これは、本当なのですか」
浦部が震える声で尋ねた。
川常務は答えなかった。
彼は腕を組み、く背もたれに寄りかかり、ただたい目で井の点を見つめていた。
数秒の、鉛のようにい沈黙。
やがて、川常務はゆっくりと線をろし、ふっと自嘲気に息を吐きした。
「……浦。君は当のコンプライアンス規程の改定を覚えているか」
く、押し殺した声だった。
「ちょうどだ。親会社からの向役員が乗り込んできて、現の綱紀粛正を名目に、就業規則を幅に厳罰化した。……業務のな過失、あるいは隠蔽作に関与した社員は、即懲戒解雇。そして、監督責任のある管理職も格および減。それだけじゃない」
川常務の線が、私へと向けられた。その瞳の奥には、抱え込み続けてきた苦汁のが沈んでいた。
「当の退職および慶弔規程の第条だ。……『懲戒解雇に相当するな規程違反を犯した者、またはその調査の途でした者に対しては、遺族特別弔慰および企業加算の支を切わない』」
私の臓が、たいで掴まれたように収縮した。