"退職金と三百万円の借金" 第1話
「林さん、、本当にお疲れ様でした」
その言葉を、今だけで何度聞いただろう。
夕方をし過ぎた頃、事務所のあちこちから拍が湧きがった。業務部総務課の私のデスクのには、とりどりのガーベラをにした派な束と、部署の全員から寄せきされたが置かれていた。
歳。昭の終わりに入社し、元号をつ跨いでこの品で働き続けてきた。
代の頃は伝票のと格闘し、代で同じ物流管理課にいた夫の男と社内結婚をした。子どもには恵まれなかったけれど、慎ましく、誠実に、で同じ会社を支えてきたという自負はあった。、男が代半ばの若さで突然界してからも、私はこの会社に留まり、毎変わらずタイムカードを押し続けた。
引きしのは、もう空っぽだった。
使い古して数字の印字が消えかかった卓、首の当たる部分がテカテカになったマウスパッド、予備のストッキング。私物を詰めた茶い段ボール箱のをガムテープで塞ぎ、私はさく息を吐いた。
肩の荷がりる、というのはこういう覚なのだろう。からは目覚まし計をセットしなくてもいい。ラッシュの満員に揺られなくてもいい。来からは、これまで積みててきた企業と、約千百万円ほど見込まれている退職が座に振り込まれる。
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質素に暮らせば、できていくには分な額だ。古くなった自宅の呂をリフォームして、には男が好きだった京都の桜でも見にこう。そんなささやかな計画をい描きながら、私は最に羽織るカーディガンに腕を通した。
そのだった。
「林さん、ちょっといいかな」
背からく、慮がちな声がかけられた。
振り向くと、事部の浦がっていた。私よりつほどで、いつもは穏やかな笑みを絶やさない男だが、その目元にはどこか言い淀むような、神経質な翳りが落ちていた。
「浦部。どうされました? 挨拶回りなら、営業部の方は先ほど済ませてきましたが」
「いや、そうじゃなくてね。……退職に伴う類の最終確認なんだ。本来なら先週までに終えておくべきものだったんだが、どうしても点だけ、林さんご本に直接確認しておかなければならない案件がてきてしまってね」
「確認、ですか?」
「うん。ち話もなんだから、奥の第面談へ来てくれるかい。段ボールは置いておいて構わないから」
浦部は私の束に線を落とし、どこか気まずそうに唇を引き結んだ。
定退職の当の、終業際。通常なら、健康保険証の返還や帳の控え、職票の送付先所を確認して、握を交わして終わるはずの続きだ。
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何か記入漏れでもあったのだろうか。あるいは、勤めた社員に対する形式な形式ばったアンケートのようなものか。
私は束の横に鞄を置き、浦部のに続いてフロアの奥へと歩いた。
すれ違う若い社員たちが「林さん、ありがとうございました!」「お元気で!」と々にをげる。私はそのつひとつにを止め、「ありがとう、体に気をつけてね」と微笑み返した。
廊の突き当たりにある第面談は、主に採用面接や事評価の通告に使われる、窓のない無質な部だった。
換気扇のい唸り音だけが響く部の央に、のスチールテーブルとパイプ子が向かいって並んでいる。浦部は私に対面の席を勧めると、自分は革張りのファイルを胸に抱えたまま、く腰掛けた。
「お茶もさずにすまないね」
「いいえ。それで、確認というのは何でしょう。提類に備でもありましたでしょうか」
私が尋ねると、浦部は元のファイルをき、から枚の類を取りした。
質特のさではなく、経劣化で端がわずかに黄ばんだ、のA4用だった。
それを、部は両で挟むようにして、私の目のへと滑らせてきた。
「林さん。退職の最終決済を回す直の監査で、経理の古い台帳からこれが見つかったんだ。
……まずは、これを見てほしい」
テーブルのに差しされたの最部には、太いゴシック体でこう印刷されていた。