"十年前に死んでいた夫" 第9話
老は私に丸子を勧め、自分は削り台のに腰掛けた。
「敬が……んだか」
呟くような声だった。 りは消え失せ、代わりにい疲労が老の顔に刻み込まれていた。
「あいつは……どこで、どうやって暮らしてたんだ。以、音汰もなかった。警察にもかず、親戚のところにも顔をさず……」
「京の、古いアパートです。計の修理や、具の修繕をしながら……静かに暮らしていました」
「計の……」 沼田老は自嘲するように元を歪めた。
「そうか。あいつは先が器用だったからな。計の歯なんざ、の仕事のに面がって直してたよ。……だが、奥さん。あんた、さっき『佐伯』と名乗ったな」
私の臓が、ぎくりとねた。
「はい」
「敬の野郎、偽名を使ってたのか」
私はバッグをけ、震えるで、あのハンカチを取りした。 包みを解き、の彫りの鳥を差しした。
「主は、佐伯孝之と名乗っていました。……でも、この鳥を、ぬまで削っていたんです」
老は鳥を受け取った。 黒く汚れた指先で、滑らかな肌を撫でる。 その瞬、老の眉が微かにねがった。
彼は鏡をし、鳥の羽の付け根、尾羽の削りしの部分を、裸でじっと見つめた。
「……裏刃を寝かせて、削り跡を鱗に見せるやり方だ」 老の声が震えていた。
「これを作れるのは、この郷じゃ敬しかいねえ。
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あいつの親父から受け継いだ、輪独特の鑿(のみ)の入れ方だ。……違いねえ。あいつがきて、これを彫ってたんだな」
老は鳥を削り台のに置くと、奥の事務所とおぼしき部へ入っていった。 ガサゴソと物を探す音がして、やがて冊の茶い挟みを持って戻ってきた。 の埃をかぶった、古いアルバムのようなものだった。
老はそれを私のに広げた。 昭の終わりから平成の初めにかけて撮られたとわれる、褪せたカラー写真が数枚貼られていた。 材ので、作業着姿の男たちが並んで笑っている。
「これだ」 老が、太い指で枚の写真を指差した。
『平成 輪所会』ときされた写真だった。 列の央には、誇らしげに腕組みをする初老の男性。 そして、列の端に、控えめにっている若い男性がいた。
代半ばだろうか。 痩せていて、し自信なさそうに微笑んでいる、どこか頼りなげな青。
「この若いのが、佐伯孝之だ」
私は息を呑んだ。 写真の青の胸元には、に黒い糸で『佐伯』と刺繍された作業着が写っていた。
「佐伯は……本当に、いたんですね」
「ああ。隣町のアジサイ園のくの児童養護施設をて、うちへみ込みで入ってきた僧だ。親も寄りもなくてな。先は器用だったが、真面目な奴だった。
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……だが、こいつはにんだはずだ。京の運送で働いてて、トラックにねられたって、警察から連絡があった」
私のので、久保総病院のカルテが繋がった。 平成、救急搬送されてした歳の青。 計算がわない。 もしこの写真が平成なら、その佐伯が代なら、んだには歳を超えていなければならない。
いや、違う。 私は写真の青の顔をもう度見た。 幼い。 平成で代半ば、あるいは歳そこそこ。 ……違う、そうではない。
「奥さん、何を見てるんだ」 老が言った。
「佐伯じゃねえだろ。あんたの亭主は、こっちだ」
老の指が、列の央へ滑った。
そこには、の職たちから歩引いた位置で、恥ずかしそうにを向いている男が写っていた。 代半ば。 作業着の袖をまくり、逞しい腕をしている。 だが、その目元、しがった眉、そしてい唇の形。
「……あ」
声にならなかった。 夫だった。 髪もなく、病に侵されるの、若々しく血のいい顔。 けれど、違いなく、私と緒に暮らした、あのだった。
「輪敬」 老が、その名を厳かににした。
「輪所の跡取り息子だ。あいつが、あんたの旦だ」
涙が、に溢れた。 膝のにボタボタと落ちていく。 やはり、私のっている夫は、この世にしていたのだ。
幽霊でも、実体のないでもなかった。 彼は「輪敬」という名を持ち、この町でを削り、仲たちと笑っていたのだ。