"十年前に死んでいた夫" 第1話
「申し訳ありません、奥様」
窓の女性職員は、指先で青いプラスチックの診察券をそっと押し戻した。 のステンレストレイので、さな乾いた音が鳴る。
「こちらの診察券ですが……当院の患者データベースには、該当する記録が残っておりません」
私は自分のを疑った。 自ドアがくたびに、の湿ったたいが吹き込んでくる。 待ロビーには消毒液と湿布の匂いが淀み、昼の暗いがタイルのにく反射していた。
「記録がない、というのはどういうことですか」
私の声は、自分でもっていたよりく、掠れていた。 に夫を見送ったばかりだった。 、こので背をさすり、痰を吸い、夜に何度も起きて体温を測り続けた夫だ。 昨、所のお寺の職と、所の百の主だけを呼んで、質素な葬を終えた。 骨壺をアパートのさな部の机に置き、私は今朝、番にこの久保総病院へやってきたのだ。 残された治療費の精算と、保険やの続きに必な総括診療細を受け取るために。
「あの、田さん」 私は職員の胸元の名札を見つめながら、もう度、診察券を指先で押した。
「夫はから、こちらの内科に通っていました。性の気管支炎と全を患っていて、半に度はレントゲンを撮っていただいていたんです。
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主治医の松永先にも、くお世話になりました。その診察券も、まさにこの窓で発されたものですよ。番号を見てください。『〇ー』と刻印されています」
職員の田さんは、困惑したように眉を寄せ、元の端末のキーボードを何度か叩いた。 カチャカチャという乾いたキータッチの音が、静まり返ったフロアに響く。 画面を見つめる彼女の瞳が、わずかに揺れた。
「ええ、番号はおっしゃる通り、当院のフォーマットです。偽造されたものでもありません。ただ……」
彼女は言葉を切り、背に座っていた配の男性職員に声で打ちした。 男性職員がちがり、田さんの肩越しに画面を覗き込む。 の線が交錯し、それから同に、私の顔に向けられた。 その目には、単なる事務な違いに対する当惑ではなく、何か得体のれないものを見るような、たい警戒のが混ざっていた。
「奥様、しあちらの相談でお話を伺ってもよろしいでしょうか」
男性職員が言った。 名札には「医事課 平野」とあった。
「どうして相談なんですか。私はただ、細をいただきたいだけです」
「システムの問題で、々確認させていただきたい点がございます。ここではの方もおられますので」
平野課は、断らせない静けさで通をで示した。
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私は膝のに置いた黒い布の提げバッグを握り締め、ちがった。 の裏が、まるで濡れたスポンジを踏んでいるかのように頼りなかった。
案内されたのは、第相談という名札のついた畳半ほどの部だった。 窓はなく、壁際に置かれた緑のビニールレザーの子と、パイプの机があるだけだ。 蛍灯がかすかにジリジリと唸るような音をてていた。
平野課は私にお茶を勧めることもなく、机を挟んで向かいった。 元には、先ほど私が預けた青い診察券と、プリントアウトされた数枚のが置かれている。
「佐伯久恵様ですね」
「はい」
「ご主は……佐伯孝之様、と」
「ええ。自宅で、の未にくなりました。急激な全でした」
平野課はに線を落とし、それから私を真っ直ぐに見た。 その線には、探るようなみがあった。
「申しげにくいのですが、奥様。当院のホストコンピューターの記録では、この診察券番号の持ち主である『佐伯孝之』様は、のに、当院でおくなりになっています」
部のの空気が、ふっと消えたような気がした。 私の喉がさく鳴った。
「……はい?」
「平成、〇のです」 平野課は、淡々と、しかし言言を区切るように言った。
「そのの未、当歳だった佐伯孝之様という男性が、交通事故による発性傷で救急搬送されました。
当院の度救命センターで蘇処置がわれましたが、残ながら午分にが確認されています。