"父の料亭を継いだ翌日、板長が全員連れて独立" 第9話
あれから61。
は終わらなかった。
ただし、以と同じのに戻ったわけでもなかった。
売はの6割ほど。
営業できる座敷は半分。
もない。
それでも、このにしく入ったも戻ってきたも、も辞めていなかった。
翌1からは、沢渡さんの提案で若い料理の仕事を固定しすぎないことにした。
追い回しだから何も雑用だけではなく、定期ごとに簡単な焼き物や汁の確認を教える。
柚君が初めて自分で汁を引いたは、沢渡さんが見をしてから言った。
「い。もう回」
それだけだった。
鳴らない。
格を否定しない。
何が駄目かを伝える。
柚君は悔しそうにもう度鍋へ向かった。
回目。
沢渡さんはしだけ頷いた。
「今度は使える」
そのの柚君の顔を見て、私は父が失敗したことをしずつやり直している気がした。
板へをさない。
それと。
が傷ついていても見て見ぬふりをする。
このつは同じではない。
そこを父は最まで分け切れなかった。
だから私は、父のやり方をそのまま守るのではなく、父が最に変えようとした部分まで引き継ぐことにした。
翌3、黒田さんのしいは結局度もしないまま、駅の物件を引き払ったと聞いた。
先に入れた保証や内装費は戻らず、資も融資も消えた。
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しいへく予定だった々のくは別のへ移り、藤堂さんもの割烹へ勤め始めたという。
黒田さん自は、宴会の板で働いているらしかった。
町がさいので、こちらから聞かなくても話は入る。
ただ、私は度も確かめにかなかった。
そんなある、のへ通のが届いた。
差は黒田誠治。
私は帳で封を切った。
便箋4枚に、父とのいが細かくかれていた。
26歳で入った、父から包丁の研ぎ方をやり直させられたこと。
30代で初めてきな宴会の献を任されたこと。
先代と喧嘩しながらのを作ったこと。
途には、「あのは気がっていた」「女将さんへ失礼なことも言った」と謝罪もあった。
最には、
《もし能であれば、もう度のの板へたせてほしい》
とかれていた。
私は最初から最まで度読んだ。
それから気づいた。
4枚の便箋のに。
辞めていったの名がもない。
沢渡さんも。
井さんも。
今井さんも。
柚君も。
あの朝緒にていった12さえ、度もてこない。
かれているのは父と板と料理の話だけだった。
私はそこでようやく、黒田さんというをし理解した気がした。
悪だからを追いしたわけではない。
本にとって、本当に料理が全てだったのだ。
料理がうまければは続く。
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腕がある者がにつ。
ついてこられない者が辞めるのは仕方がない。
32、それを度も疑わなかった。
だから自分がのだとった。
そして最まで、がいなくなる理由を自分へ結びつけられなかった。
私は返事をかなかった。
会社として、しずさんに文だけ作ってもらった。
《現、採用の予定はございません》
社判を押して送った。
それで終わりにした。
その夜、父のノートを最初から最まで読み直した。
辞めたの名だけではなく、入ったの記録も見た。
《沢渡直 18歳。が速い》
《井郁 20歳。声が通る》
《今井 皿を割らぬ》
父はの所をよく見ていた。
だからこそ、辞めたに《黒田君》とくのはつらかったのだとう。
それでも父は、黒田さんを切れなかった。
そこにはもあった。
料理としての尊敬もあった。
父自のさもあった。
5に沢渡さんが辞めたページには、裏にさく鉛で追記されていた。
《直に会うこと》
その翌にも。
《蕎麦。元気》
さらに翌も。
《まだ戻れとは言わぬ》
父は度へしたを、完全には放していなかった。
けれどへ戻せば黒田さんと再び衝突する。
だからに度会うだけだった。
それが父にできた精杯だったのだろう。
私は最のページをいた。
《綾乃を入れた。この帳面がいらぬにする》
そのへ、私は自分の字でいた。
《128 沢渡直、復帰》
続けて、
《井郁、今井、葛淳、岸本佳代、柚圭吾、涼太、真奈》