"父の料亭を継いだ翌日、板長が全員連れて独立" 第1話
「このも、これで終わりだな」
黒田誠治さんは広の入にち、を片腕に掛けたまま笑った。畳のには板と座敷をわせて12の従業員が座っていたが、誰として私と目をわせようとしない。父の葬儀を終え、正式に私が老舗料亭「の」の代表となった翌朝のことだった。
「俺はここで32やってきた。先代と緒に、このをどうやって回してきたか、料理も作れないあんたには分からんだろう」
私は広の柱にを添えながら、黒田さんの顔を見た。喉の奥には言いたいことがいくつも詰まっていたが、それを全部み込み、「分かりました」とだけ答えた。
黒田さんは瞬、言葉を失ったようだった。私が泣いて引き止めるか、って言い返すとっていたのだろう。「それだけか」と聞かれても、私は「皆さんが決めたことですから」と答えた。
「で泣きついても遅いぞ」
「はい」
13分の音が玄関へざかっていく、私はそのをかなかった。
もっとも、この朝の来事は突然起きたわけではない。振り返れば、父がくなる半から、ののにはいくつものさな異変があった。ただ当の私は、それらが本の線でつながっていることに気づいていなかった。
私は篠原綾乃、36歳。のは野県のさな町を流れる川沿いに建つ料亭で、曾祖父が始めてから84になる。
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6つの座敷と50ほど入れる宴会があり、法事や顔わせ、会社の接待や忘会まで、町のたちが節目ごとに使ってくれるだった。
学卒業、私は京のホテル会社へ入り、12、宴会部と部の運営を担当していた。料理ではないから包丁本まともに扱えないが、予約を組み、を配置し、原価と売を管理し、何件もの宴席を同にかすことなら経験がある。
半、父・龍から突然話が来た。
「帰ってこい」
理由を聞いても、「の経営を見てもらう」としか言わなかった。
久しぶりに帰った父は、以よりらかに痩せていた。板につもくなり、仕込みの途で帳へ戻って子に腰をろすことが増えていた。
「板には黒田がおる。おは座敷と数字を見ろ」
父はそう言い、料理について私へ指図をしたことは度もなかった。私はそれを、料理ではない娘のを理解して任せてくれているのだとっていた。
板の黒田さんは58歳。26歳でのへ入り、父と32緒に働いてきただった。煮方や焼き方、向板を何も育て、町では「ののは黒田さんが作っている」とまで言われていた。
その評価に、私自も異論はなかった。
ただ、戻ってから気になることがいくつかあった。
若い料理の顔が、なかなか覚えられないのだ。
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覚えられないというより、覚えた頃にはいなくなる。半に私が戻ってきてからだけでも、向板をしていた29歳の男性と仲居が2辞めていた。
父へ相談すると、「板ののことは黒田が見る」とだけ言われた。
黒田さんに理由を聞けば、「使えんかった」「根性がなかった」の言で終わる。ホテルでも若い従業員の入れ替わりは珍しくなかったため、私はく考えなかった。
もうつ、父には妙な習慣があった。
に何度か帳の庫をけ、垢で黒ずんだ学ノートへ何かをき込んでいた。売帳でも仕入帳でもなく、表にはただ「の 入り」とだけかれていた。
「何をいてるの?」
度だけ聞いたことがある。
父は表をで隠すように押さえた。
「のことだ」
「見てもいい?」
「まだいい」
そのは、古いが昔の従業員の名でも記録しているのだろうとった。
父が板で倒れたのは、103の朝だった。
里芋のごしらえを確認している最、突然へ崩れたという。救急で病院へ運ばれたが識は戻らず、そのの夕方、68歳でくなった。
病院の廊でらせを聞いた直、私が最初にしたのは予約帳をくことだった。
その週に何件入っているか。どの席なら延期をお願いできるか。仕入れはどこまで入っているか。
涙より先に仕事の段取りがへ浮かんだ。
自分でもたい娘だとったが、12ホテルでについた癖は、父がくなったからといって消えなかった。