"680億円の取引を救った秘密の多言語" 第5話
鬼は満そうにを鳴らしたが、織がそう毅然と言い切ってくれると、それ以は何も言い返せなかった。
たった言、そう言ってくれるだけで、私は今もまたしだけを向いて頑張れる気がした。
「くん、ごめんね。さっきお願いした資料の件、私の方から直接本に渡せばよかったのに」
「いえ、しおりさんはにもやることがたくさんあってお忙しいとうので、僕のことは気にしないでください」
「ありがとう。また回のみたいに、素らしい資料作成をよろしくね」
「こんなんでよければ、いつでも……」
「あなたの作った資料は、いつも分かりやすくて助かっているのよ。じゃあまたね」
「あ、はい……」
(ここで何かさな跡でも残せたら、きっといつか自分の世界も変わるかもしれない)
そんな淡い期待と決が芽え始めた頃、運命の歯を狂わせる事件が起きた。
バルハルテ社とサンベルザイダ財団、そしてその関連する国際文化財団が堂に会する、総額百億円の国際美術取引に関する「最終承認セッション」。
にわたる規模なセッションが、都内の某級ホテルで催されることになった。
初は「パートナーシップ・ディスカッション」と呼ばれるもので、正式な契約交渉の段階として、各国からの席者と顔をわせ、い信頼関係を築きながら展示品のコンディション確認や過の取引実績についての詳細な報告がわれるだった。
広告
会には世界各国から選りすぐられたコンサルタントや文化財団の代表者、優秀な通訳スタッフ、法務担当者たちがずらりと並び、内の空気は静かに、しかしピリピリと張り詰めていた。そのに、私のような雑用係が紛れ込んでいること自体が違いだと分かっていたが、私は壁際に張り付いてその様子を見守っていた。
「しおりさんが言っていた通り、サンベル側の担当者が展示品の歴史・精神な文脈をここまで厳格にしているっていうのは、本当だったんだな……」
部の展美術品に関して、過の宗教文脈や民族の複雑な歴史背景にまでく踏み込んだやり取りがび交う。そのどれもが、像を絶するほどの慎さと、文化に対するい敬に満ちていた。
同席した通訳たちは、その複雑なニュアンスを丁寧に噛み砕き、絶妙な言葉のチョイスで各国の言語へと見事に訳していく。誰もが彼らのプロフェッショナルな専性に助けられていた。
「さすがね、今回は通訳の皆さんのおかげで本当に素らしいわ。初のセッションを完璧にこなせたわ」
そのの夜、ホテルのロビーで関係者たちがい歓談を交わす、私はその輪に加わることができず、しれた所から巻きに眺めていた。だが、織とほんの瞬だけ線がった瞬、私のはしだけ温かいで満たされた。
広告
そして迎えた目――それは、正式な契約交渉と最終署名のであり、まさに百億円の莫な取引が決定する正だった。
通訳たちは朝から最終の打ちわせと用語の確認に追われ、織も緊張した面持ちで最終資料を確認するはずだった。
ところが、セッション始のわずか分。準備が完璧にっているはずのメイン会に、なぜか配されていたはずの通訳のが誰のこらず、も現れなかったのだ。
「あれ? カロさん、まだ来てませんね……ガブリエルも連絡がつかない。すぐにホテルに直接連絡を入れてちょうだい」
だが、ホテルのフロントに確認を取ると、すでに彼らの部は全員分がチェックアウト済みだった。通訳たちは、ホテル側の誰にも言の告別も残さず、完全に姿を消していたのだ。
「体、何が起きたんだ……おい、どうなってんだよ! 通訳が数いないと交渉が始まんねえだろ!」
「いえ、きっと何か刻なトラブルが起きたのかもしれません……まずは事実確認を急ぎます」
その、織のパーソナルなスマートフォンに、逃げした翻訳者のからの緊急メールの転送が届いた。
『これまでの打ちわせや事の準備において、バルハルテ社の営業部・鬼氏による、以のような言語断の侮辱態度が繰り返された。