"消された母親の席" 第9話
という筋きに、完璧な現実を与えるだけだ。
「落ち着け……息を吸え、真奈美……」
私は暗ので、自分の胸をく拳で叩いた。 ドクドクと、狂ったように脈打つ臓。 泣いている暇はない。発狂している暇すらない。 の夕方までに、ここをて、あのが仕掛けた罠の急所を突かなければ、葵は度と私の腕には戻らない。
私は寝へ戻り、具箱から太いマイナスドライバーとプライヤーを取りした。 狙うのは玄関ドアではない。ベランダだ。
古い公団仕様の教員宅のベランダには、隣との境にいケイカル板の蹴破り戸がある。隣の部は、先末に別の学へ転任した数学教師が退し、今は空になっているはずだった。
サッシを静かにける。 の湿な夜が、汗ばんだ首筋を容赦なく撫でた。が顔に吹き付ける。
私は隣との仕切り板のに膝をつき、ドライバーの先端を、ボルトで固定されたアルミ枠の隙にねじ込んだ。 ギギ……と錆びたネジが軋む。 音をててはならない。息を止め、プライヤーでボルトのを挟み、ミリずつ回転させる。のひらにマメが潰れる痛みがったが、構わなかった。
分。 パキリ、と乾いた音をてて、部の留め具がれた。 私は隙に体を滑り込ませ、隣の空のベランダへといた。
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空のサッシのクレセント錠は、幸いにも完全に締まりきっていなかった。ドライバーの先で窓枠の隙を押しげると、カチリと頼りない音をてて鍵がれた。
誰もいない、埃と古畳の匂いが充満する部を横切る。 空の内側から玄関のサムターンを回すと、鉄の扉は何の抵抗もなく、静かにへ向かっていた。
私はへた。 午過ぎ。灯のが、濡れたアスファルトに細く反射していた。
*
朝番の気がち込める宿の裏。 雑居ビルの階にあるさな事務所のドアを、私はノックした。
『藤法務政士事務所』
扉をけると、煙の煙と古いの匂いがを突いた。 デスクの奥から顔をげたのは、学代の法律サークルのつの先輩である、藤さんだった。事紛争や親族の銭トラブルを専に扱う、界隈では腕利きでられる男だ。
「真奈美……おい、その顔、どうしたんだ」
私のだらけのトレンチコートと、擦り切れたのひらを見て、藤先輩は咥えていた煙を皿に押し付けた。
私は何も言えず、震えるで枚の類をデスクのに置いた。 葵のスーツの裏から見つけした、聖マリアンナの自費特別処置の領収。 そして、修正液で偽造された跡のある、葵の母子健康帳。
藤先輩は無言で老鏡をかけ、デスクライトの角度を変えた。
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ルーペを取りし、母子帳の印と、領収の印字を交互に見つめる。静まり返った事務所に、換気扇のブーンというい唸りだけが響いていた。
分、先輩は鏡をし、眉をく揉みほぐした。
「……所は?」
「葵のお受験用のスーツの、肩パッドの裏です。故に縫い込まれていました」
「病院コード『SM-NICU-04』。違いないな。聖マリアンナの周産期センターだ。ここは完全会員制の特別病棟を持っていてね、政財界のや病院の族が、表汰にできない産をするに使う所だ。カルテの示請求すら、通常のルートじゃまず通らない」
先輩は領収の『条綾』という名に指を置いた。
「この女が、慶学園の現理事の姪で、おが仕えているというママ友グループの代表か」
「はい……。そして、緊急連絡先のこの番号は、私の夫のプライベート端末です」
藤先輩は静かに息を吐きし、ちがって湯からい麦茶を淹れてきてくれた。 湯気のつ湯呑みを私のに置くと、彼はパイプ子を引き寄せて座った。
「真奈美、単刀直入に言うぞ。お、慶初等部の『内部推薦枠』の選考基準をどこまでっている?」
「選考基準……? 保護者の面接と、庭環境の適性、それに理事会関係者からの推薦状が必だと……」
「それは表向きのパンフレットの文句だ」
先輩はパソコンのキーボードを叩き、画面を私の方へ向けた。
画面には、慶学園の寄付為および財団法の内部規約が、細かな条文とともに表示されていた。