"消された母親の席" 第3話
「おは血が酷くて、子宮を全摘せざるを得なかった。もう目は望めない。だから、この子をで、命がけで育てよう」
そう言って私のを握りしめた夫は、あの、何を考えていたのか。
そして、私たちがにわたって奴隷のように仕え、理尽な命令のすべてに従い、のタイヤのまで掻きしてきた条綾という女は——。
あの女が、葵の、本当の母親だというのか?
*
吐き気が止まらなかった。
私はトイレに駆け込み、黄ばんだ便器にすがりついて胃液を吐きした。喉を焼く酸っぱい臭いと、ちるアンモニアの臭いが混ざりい、目から涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「う、あ……っ、げほっ……!」
胃のには何も入っていなかった。今夜の私の夕は、葵が残したえ切ったパンの切れと、いインスタントのインスタントコーヒーだけだったからだ。
修平は今夜、「慶の推薦枠を巡る内部会議が引く」と言って、夕方からをていた。
私は震えるでスラックスのポケットから自分のスマートフォンを取りし、修平の「本番号」を呼びした。
ツーツー、という無質な発信音が、鼓膜を針のように刺す。
回、回。
呼びし音が途切れ、カチャリと通話が繋がった。
「……もしもし。真奈美か?」
背に微かなノイズが混ざっていた。静まり返った職員の音ではない。
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なジャズのベースライン、氷がクリスタルグラスに触れう乾いた音。
「修平……今、どこにいるの?」
「言っただろう、学だよ。来度の内部学と初等部からの推薦枠のすりわせだ。理事会の息のかかった教がうるさくてね。まだしばらく類仕事が残ってる」
修平の声は、呆れるほど滑らかだった。
その、話の向こうで、クスクスというい女の忍び笑いが響いた。
布擦れの音。そして、甘くにかかった、聞き紛れるはずもないあの声が、受話器の奥から微かに漏れ聞こえてきた。
『——修平、次はメルローをけてちょうだい。それと、氷が溶けてるわ』
私の臓が、凍りついた。
綾さんの声だ。
慶初等部のお受験ママたちの頂点に君臨し、常に完璧な濃紺のスーツと連のパールをにまとい、の母親たちをたい目で見ろす、あの条綾の声。
「……修平、誰といるの?」
「誰って、学主任の柴田先だよ。疲れてるんじゃないか? くだらない詮索をしてる暇があったら、葵の面接シートのき直しをめておけよ。綾さんから預かっている推薦枠の枠組みを無駄にする気か」
「綾さんって……今、あなたの隣にいるのは誰なのよ!」
私の叫びは、プツリという無質な子音によって方に遮断された。
画面を見ると、『通話終』の文字。
すぐに掛け直したが、呼びし音すら鳴らずに「波の届かない所にあるか、源が入っていないため……」
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という械なアナウンスが流れるだけだった。源を切られたのだ。
計の針は、午零を回っていた。
私はえ切った便座の蓋のに腰をろし、膝を抱えた。
ので、これまでのの景が、血のるような鮮さで蘇ってくる。
、葵が歳になった、修平は突然「葵を慶に入学させたい」と言いした。
公の学で分だと主張する私に、修平は珍しく声を荒らげた。
「僕の勤め先だからこそわかるんだ。慶のブランドがあれば、葵の将来は約束される。条の綾さんが、僕たちのを認めて、特別に推薦の面倒を見てくれると言ってくださっているんだぞ」
そこから、私たちの獄のような「お受験活」が始まった。
綾さんの主催する「慶会」という私設サロンへの加入。額万円の会費。
綾さんの男である昂くんの送迎、買いしの荷物持ち、サロンの会設営から片付けまで、すべて私が無償で引き受けさせられた。の裕福な母親たちは、仕ての良いワンピースを着て優雅にお茶をみながら、汗だくでパイプ子を並べる私を「修平先の奥様は、本当によく気が利くこと」と嘲笑交じりに眺めていた。
それでも耐えられたのは、修平が「葵のためだ」と繰り返したからだ。
葵が、慶の紺の制を着て、誇らしそうに笑うを見ていたからだ。