"空っぽの弁当箱" 第2話
油のついた羽根を枚ずつ拭き取り、へりた瞬、膝に鋭い痛みがる。
わず壁へをついた。
それでも計を見ると、休んでいる暇はなかった。
8半には、自分も清掃パートへなければならない。
壁のカレンダーには、さな赤い丸がついていた。
1018。
はる子が58歳になるだった。
誕まで、あと2。
そして、それはこので迎える最の誕になる予定だった。
はる子が息子夫婦ので暮らすようになったのは、3だった。
夫の茂を病気でくしたあと、はる子はく夫婦で暮らした社宅をなければならなかった。遺族と午の清掃パートがあり、すぐ活に困るわけではなかったが、夫を失ったばかりの頃は、1でしい部を探す気力も残っていなかった。
朝になると、つい茂の分までコーヒーを淹れそうになった。
夕方には、玄関の鍵が回る音がしたような気がして顔をげる。だがそこには誰もいない。
を過ぎた頃、健と美が訪ねてきた。
「母さん、1じゃだろ」
健はそう言った。
「まだ働けるから丈夫よ」
「でも何かあっても、すぐ来られないじゃないか」
その横で、美も穏やかに笑った。
「うちに来ませんか? 子どもたちも、おばあちゃんと暮らせたらびます」
はる子は仏壇の横に置いた夫の写真を見た。
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夜の静かな部で計の音だけを聞いているより、孫たちのいるで暮らした方がいいのかもしれない。
「そうね。しお世話になろうかな」
か、はる子は類と器、夫の写真を入れたさな箱を持って息子のへ移った。
最初の数週は、本当に穏やかだった。
健は仕事から帰ると、はる子の部のでを止めた。
「母さん、困ったことない?」
「丈夫よ」
美も、
「お母さんは座っててください。まだ慣れないでしょう」
と言ってくれた。
芽は「ここがおばあちゃんの部だよ」とを引き、陸も「ゲームの音うるさかったら言って」と照れくさそうに笑った。
はる子は、ここならまた族として暮らせるとった。
変わり始めたのは、美の残業が増えてからだった。
ある夕方、美から話が来た。
「すみません、今仕事が引きそうで。子どもたちの夕飯だけお願いしてもいいですか?」
「もちろんよ」
その夜、はる子は陸と芽の好きなハンバーグを作った。
「おばあちゃんのハンバーグ、おいしい」
芽がそう言ってくれただけで、嬉しかった。
美も帰宅すると卓を見て、
「助かりました。やっぱりお母さんがいると違いますね」
と笑った。
それが週に1回になり、2回になった。
やがて美の帰宅がいにも、はる子が夕を作るようになった。
洗濯物を畳む。
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を拭く。
ゴミをまとめる。
用品を補充する。
最初は「お願いできますか」だった言葉も、そのうち変わった。
「今も夕飯お願いします」
「洗濯物、畳んでおいてくださいね」
「拭きも午にお願いします」
頼み事は、いつのにか予定になった。
はる子も断らなかった。
役にてているのなら、それでいいとっていたからだ。
夫をくしてから、自分は誰にも必とされないのではないかという怖さがあった。
夕飯を作れば卓がう。
洗濯をすれば族が困らない。
自分ので誰かの活が回っている。
それが、はる子には居所のようにじられた。
同居を始める、はる子は毎5万円を活費として渡すと決めた。
「ただで置いてもらうわけにはいかないでしょう。費も費もかかるし」
健は最初、
「そんなのいらないよ」
と言った。
だが翌から、はる子が机のへ置く5万円入りの封筒は黙ってなくなるようになった。
さらに材がりなければ、はる子がす。
芽の学用品、陸の部活で急に必になった物も、買い物のついでなら自分で払った。
返してほしいと頼んだことはない。
ただ、そういう支払いが増えるにつれ、自分のは買わなくなった。
膝の診察も何度か先延ばしにした。
午の診察予約を入れても、美から「宅配便が来るのでにいてもらえますか」
と頼まれればキャンセルした。
「来でいいわ」
それが癖になった。
同居から2半ほど経った頃だった。