"名前を消された入園届" 第20話
ザッ、ザッ、ザッ。
背から、い靴音がづいてきた。 父の履く、履き古した全靴の音だった。 鉄芯の入った靴先が、私の目ので止まる。
「……お父さん……」
私は顔をげることすらできず、面に額を擦り付けるようにして掠れた声を絞りした。
「取られちゃった……。私の……実印も……陽菜の帳も……。あいつ、全部持ってっちゃった……。もう、おしまいだよ……」
父から鳴られるとった。 「何をしとるんだ」「油断するからだ」と、いつもの厳しい声でされることを覚悟していた。
だが、からってきたのは、声ではなかった。
シュッ。
布が擦れる、微かな乾いた音。 界の端に、つ折りにされた枚の布が差しされた。 父の作業ジャンパーのポケットに入っていた、糊の効いた、しい綿のぬぐいだった。 隅に『武鉄全祈願』と紺の糸でさく刺繍が入っている。
「を拭け」
父の声は、驚くほど静かだった。 く、波たず、まるでいつもの朝に具を渡すと同じ温度だった。
私は震えるでぬぐいを受け取り、のひらのを拭った。 父は私の隣にゆっくりと片膝をついた。 の古傷が痛むのか、膝の関節がギシリと音をてる。 父はきな、ひび割れたで陽菜のをそっと撫でると、自分の防寒ジャンパーのフロントファスナーにをかけた。
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ジジジ……。
属の噛みう音が、静まり返ったに響く。 父はジャンパーの内ポケットにくを差し入れた。 そこから引きされたのは、のジッパー付き透ビニール袋だった。
「これを見ろ」
父が差ししたその袋のに、私は目を疑う景を見た。
緑の、ビニールカバーのかかった冊子。 表には、私の几帳面な字で『横瀬 陽菜』とかれている。 には、役所の母子保健課の公印が鮮に押された、検診記録の原本。 そして、そのになっていたのは、緑のビロード張りのさな印鑑ケースだった。
パチン。
父がケースの留めを弾いた。 朝のいのに現れたのは、黒牛の、私の実印だった。 印面に彫られた『横瀬』の文字の隙に、使い込んできた朱肉のい赤が、鈍くを放っている。
「……え?」
息が止まった。 のが真っになり、目のにあるものが理解できなかった。
「お父さん……これ……どうして……?」
「昨夜、おが救急のベッドで点滴を打たれとるだ」
父は淡々と、煙の煙を吐きすような調で言った。
「あいつらが診療所に乗り込んできたのを見て、確信した。あの男は完全に追い詰められとる。理屈も法律も通用せん。残された段は、力づくでおから現物を奪うことだけだとな」
父は印鑑ケースを閉じ、私の震える掌のにしっかりと乗せた。
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く、い触が、に汚れた私の皮膚に直接伝わってくる。
「あのアパートの階段のは、見通しが悪い。待ち伏せするには格好の所だ。必ず今朝、をたところを狙ってくると踏んでいた」
「じゃあ……さっき康平さんが奪ってったのは……」
「昨夜、おの点滴が終わった、駅の営業のローソンストア100へ寄った」
父の唇の端が、わずかに皮肉げに歪んだ。
「印鑑コーナーの回転什器から、百円の『横瀬』の文判を本買った。印鑑ケースは、俺が昔使っとったガラクタだ。封筒のは、おが持ってきたバッグの底にあった古いチラシと、の便箋をつ折りにして束ねたものだ。表には、おが持っとった役所の受領番号を、俺が油性ペンで適当に真似ていた」
全の血が、逆流するような衝撃だった。
「あの男は、奪うことにが杯で、封筒のを枚ずつ確認する余裕なんぞありゃせんかったろ」
「……確認してなかった。ケースの蓋をちょっとけて……文字をチラッと見ただけで、本物だって叫んで……」
「の目はな、見たいものしか見んようになっとる」
父はちがり、私にを差し伸べた。 節くれだった、油煙の染み込んだ。 私はそのをしっかりと握りしめた。 驚くほどの力で引きげられ、私のは再び、たいアスファルトのにしっかりとった。
「あいつは今頃、百円ショップのプラスチックの棒と、スーパーの特売チラシを胸に抱いて、完全勝利のを見とる」