"名前を消された入園届" 第18話
康平たちのどんな嘘も、この原本のには々に砕け散るはずだった。
父が古い製の引き戸をけた。 ひんやりとした朝の空気が、狭い玄関に流れ込んでくる。
アパートの階段。 鉄骨が赤茶に錆び、歩くたびにギシギシと軋む、暗いコンクリートの通をりていく。 階には、父の軽トラックがエンジンを切った状態でまっていた。
あと半で、役所のがあの団にやって来る。 そこで、すべてを終わらせるのだ。 私を狂扱いし、娘の居所を奪おうとしたたちに、現実の清算を突きつけるために。
階段の踊りを曲がり、階のアスファルトにを踏みろした、その瞬だった。
「――待ってたぞ」
アパートの駐輪のから、ぬっと黒いがびしてきた。
息が止まった。
康平だった。
昨夜の姿とは、比べものにならないほど崩壊した姿だった。 ずぶ濡れになったスーツはに汚れ、異様なシワが寄っていた。 ネクタイは失われ、ワイシャツの襟元は皮脂と汗で黒ずみ、第ボタンが引きちぎられている。 何より異常だったのは、その目だった。 晩、もせずにを彷徨い、ので爪を噛み続けていたのだろう。目は真っ赤に濁り、瞳孔は異様にき、焦点が定まっていなかった。
そのには、コンビニの百円ライターが握られ、もなくカチカチとを散らしていた。
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「康平さん……」
私の喉から、微かな掠れ声が漏れた。 とっさに歩ずさる。 背からりてきた父が、私のにちはだかろうとした。
だが、康平のきは、飢えた獣のように素かった。
「邪魔すんなジジイッ!!」
康平は叫び声をげながら、持っていたビニール傘を父の顔面に向けて投げつけた。 父が腕をげて傘を払いのけた、そのわずか瞬の隙。
康平の汚れたが、父の脇をすり抜け、私の肩にい込んだ。 骨が軋むほどの力だった。 私は背からアパートのコンクリート壁に叩きつけられた。 陽菜が「ぎゃっ」とい鳴をげ、私の胸元で激しく泣き始めた。
「陽菜を渡せ!!」
康平のから、腐った胃液と煙の混ざった悪臭が吹きしてきた。 至距で見る夫の顔は、のものではなかった。 追い詰められ、破滅の淵にたされた獣の、剥きしの狂気。
「俺は父親だ!! 親権は俺にあるんだよ! 子供を連れてく権利が俺にはある!!」
「して! やめて!!」
私は両腕で陽菜のを必に庇い、を縮めた。 だが、康平の狙いは、子供そのものではなかった。 彼の血った線は、私の肩に掛けられていた、あの皮のトートバッグの点に注がれていた。
「これだろ……! ここに隠してんだろ!!」
康平のが、トートバッグの持ちに絡みついた。 引きちぎるような力で、引に引っ張られる。
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「やめて! 返して!!」
私は必でバッグを抱え込んだ。 爪をて、腕全体でバッグを胸元に押し付ける。 これだけは渡せない。 これのには、私と陽菜が今からきていくための、すべての証が入っているのだ。
「せよこのアマッ!!」
康平が、私の腹部に膝を突き入れるようにして体をかけた。 腹部の古傷に激痛がる。 息が止まり、腕の力が瞬だけ緩んだ。
その瞬だった。
バリリリッ!!
静まり返った朝の宅に、鈍く、障りな破壊音が響き渡った。
使い古された物の皮の縫い目が、耐えきれずに裂けた。 トートバッグの持ちが根元から引きちぎれ、ファスナーのレールが弾けぶ。
に入っていたものが、勢いよく、濡れたアスファルトのにぶちまけられた。
銭入れが転がり、円玉と百円玉がチャリンと音をてて側溝に落ちる。 ポケットティッシュ、使い古したリップクリーム、陽菜の予備のおむつ。
そして――。
たまりのに、ドサリと落ちたつのものがあった。
つは、のひらサイズの、黒いプラスチックの印鑑ケース。 もうつは、病院のロゴと役所の受領印がく透けて見える、分い角形号の茶封筒だった。
「――あった!!」
康平のから、をつんざくような歓声ががった。
彼はのに膝から滑り込み、いつくばるようにして、そのつにびついた。
の混じったたまりの沫が、康平の顔を汚す。