"追い出された妊婦の家" 第10話
約束を破るたび、理由はいつも族の緊急事態だった。
私は、母を助けるなとは言わなかった。ただ、助ける費用とを自分で負担し、私と紬の分から先に取らないでほしいと伝えた。俊介は「両方を守るのは無理だ」と言った。
その言葉で、私は婚を決めた。両方を完璧に守れないことが問題ではない。迷ったに相談するのではなく、私たちへ約束したものを黙って母へ移す選択が変わらなかったからだ。
半の期限の、私は婚届と協議項目をテーブルへ置いた。俊介は泣かなかった。い沈黙のあと、自分でも同じことを繰り返していると分かっていた、と認めた。
反省が本物でも、結婚を続ける義務にはならない。私はその言葉を受け取り、婚の話をめた。
婚協議は半続いた。俊介は当初、の持分を求めた。活費を払い、修繕や庭仕事もしたのだから、実質には共財産だと主張した。私は結婚の購入記録、宅ローンの引き落とし、活費の覚を提した。
最終に、の所権は私に残り、婚姻に増えた財産と財だけを清算することになった。俊介が共同座からかした百万円の残額は、財産分与と相殺せず、久美子と作った返済面に従って支払う。
紬の監護は私が担い、俊介は回の面会と養育費を受け入れた。
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写真を第者へ送るは私の承を得る。久美子の面会は俊介のへ自に含めず、別途相談することも決めた。
協議へ署名した、俊介は「も子どもも取られた」と言った。私は、は最初から私名義で、娘は物ではないと答えた。彼が失ったのは所物ではなく、相談せず決めても妻が残るというだった。
婚が成しても、活はすぐ楽にならなかった。育児休業から復帰すると、以の型改修案件は亜希がになっていた。彼女は私より若いが、引き継いだ仕事を丁寧にめ、顧客の信頼も得ていた。
私は席を奪われたようにじた。しかし亜希が悪いわけではない。司と話し、勤務で担当できる規模宅の改修を件受け持つことになった。収入はがり、保育料と事支援費を引くと余裕はなかった。
を所していても、毎のローンと税は残る。私は使わない階のを仕事部に戻し、もうは将来紬が使うまで空けた。空いているからと誰かへ差しす必はないが、維持費を考えれば売却やみ替えも選択肢だった。
最初に担当したのは、代の母と代の息子夫婦が同居する宅だった。族はつの台所で分だと考えていたが、聞き取りをすると、母親は朝に事を作り、息子夫婦は夜に夕を取る。
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活もの好みも違った。
私はさな流し台を別へ設け、洗濯と浴の線も分ける案をした。息子は族なのに壁を増やすのかと満を言ったが、母親は「自分の湯みを置ける所が欲しい」と初めて希望をにした。
事、母親からいが届いた。《扉を閉めても、族でなくなるわけではありませんでした》。私はその言葉を社内の事例報告へ載せる許をもらい、世代同居の相談シートを作った。
誰がどこを使うか。鍵を誰が持つか。事費用をどう分けるか。来客や子育てへ、どこまで協力するか。図面を描くに言葉にする項目を増やした。
それは自分の傷を商品にするためではなかった。同じで暮らすほど、善だけに頼れば言えないことが増える。設計で完全には解決できなくても、話すきっかけは作れる。
、私は勤務のまま社内の《族変化に対応する改修》チームへ加わった。収入は以に届かなかったが、指名で相談を受ける件数が増えた。紬がをしたは同僚へ頼み、代わりに別のの現確認を引き受けた。
で全部できるい母親にはならなかった。頼む相に目とを伝え、断られたら別の方法を探す。それが、私が久美子たちと違う族を作るための練習だった。
仕事へ戻って目の、私はきな失敗もした。
顧客の希望を聞き取ったつもりで、義母側の台所を広くし、息子夫婦側の収納を狭くした図面を作った。