"追い出された妊婦の家" 第9話
母へ返すのか、捨てるのか、保管するのかは夫自に決めてもらった。私は久美子の気持ちを傷つけない処理まで引き受けなかった。
産の活は、反撃に成功したへ与えられるご褒美のようにはまなかった。紬はおきに目を覚まし、授乳しても泣き止まない夜があった。私は眠れず、娘の呼吸を何度も確かめた。
産ケア施設では助産師に相談できたが、自宅へ戻ればになるが増える。母は伝いを申したものの、膝の痛みで抱くことはできない。私は当初のを捨て、事支援を週回へ増やした。
俊介は連絡してこなかった。目の夜、久美子と話しった、今は勝にへ入れないと約束する、と送ってきた。しかし百万円の返済と署名の件には触れていなかった。
私は紬の写真を枚だけ送り、翌週から決めたに育児へ参加するがあるか尋ねた。夫はすぐ来たいと答えたが、鍵は渡さず、来訪をに限定した。
最初の、俊介は娘を抱いて写真を何枚も撮った。おむつを替えてほしいと頼むと、やり方が分からないと言った。私は度説し、失敗しても自分で最までしてもらった。
、紬が泣き始めると俊介は「母さんなら泣き方で分かる」とつぶやいた。
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私は、久美子を呼ぶのではなく、父親として娘を観察してほしいと伝えた。おむつ、温、抱き方をつずつ確かめると、紬は彼の腕ので眠った。
翌週、俊介は会社の育児休業を予定どおり始した。午から午まで自宅へ来て、洗濯、買い物、娘の世話をした。最初は私の指示を待つばかりだったが、自治体の父親向け相談にも自分で申し込んだ。
それでも夫婦の信頼は戻らなかった。俊介は母のがなくなった責任を私へじており、私は彼が再び母を優先するのではないかと疑った。事をした数で、百万円や署名が帳消しになるわけではない。
ある午、私が眠っているに久美子がのまで来た。俊介はへ入れなかったが、紬を窓越しに見せ、写真を枚撮らせた。私が目を覚ました、その写真はすでに親族のグループへ送られていた。
顔はさくしか写っていない。それでも、写真を共しないという約束は破られた。俊介は「へ入れていない。これくらい普通だ」と弁解した。
私はそので、育児を週に減らし、面会は写真撮をしないという条件を面に加えた。夫は厳しすぎるとったが、条件を守れないなら第者関を通じた面会も検討すると伝えた。
夜の、紬を抱きながら、私は婚届の用をいた。
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産のとりだけで決めないよう、佐野との面談を予約し、自分が必とする条件をきした。
を守ること。産資を返してもらうこと。娘と父親の関係を、姑の都から切りすこと。そして私自が、恐怖で夫を監し続ける活を終えること。
翌朝、俊介へ婚を考えていると伝えた。彼は娘がまれてかもたっていないのにと驚いた。
「紬がまれたからこそ、勝に決めることを族のと呼ぶには戻さない」
私は初めて、夫の変化を待つ期にも終わりがあると告げた。
翌週、俊介は婚ではなく別居継続を提案した。半、自分が育児と返済を続け、それでも信頼が戻らなければ婚に応じるという。私は期限を設けることには同したが、評価項目を私で作ることは拒んだ。
俊介自が、何を改める必があるかをいた。母へ庭報を渡さない。紬の写真を無断で共しない。共同座の返済を遅らせない。面会には母を呼ばず、自分で育児をする。初めて夫の言葉でつの約束が並んだ。
最初のか、俊介は守った。か目、久美子が体調を崩すと、面会を度止して母の通院へ付き添った。私は父親失格だとは言わなかった。親を助けることも彼の活の部であり、事に連絡して程を振り替えればよい。
問題はそのだった。久美子は通院を理由に、俊介の賃貸マンションへ週の半分泊まるようになった。返済額も度遅れ、夫は母の薬代がかかったと説した。