"追い出された妊婦の家" 第8話
「休むこと自体は必だとう。でも、私と同居する許にはならない」
私は産の支援計画を見せた。退院週は自治体の産ケア施設を利用し、そのは自宅へ戻る。母には週回、買い物だけ頼み、事支援を週回利用する。俊介が育児へ参加するなら、事に決めたに自宅へ来て、沐浴、洗濯、受診の付き添いを担当する。
俊介は、父親なのに通うのかとった。私は、鍵を渡したまま同居へ戻れば、久美子を再びへ入れない保証がないと答えた。夫は母へ鍵を渡したことより、妻が疑うことを問題にした。
「回の失敗をいつまで責めるんだ」
「部、百万円、署名、病院への連絡。どれが回なの?」
俊介は黙った。自分の為を《族を助けようとした度の判断》にまとめれば、反省も度で終えられる。だが私は、別々の選択としてつずつ向きうことを求めた。
予定よりい夜、陣痛が始まった。母に連絡し、病院へ向かうのから俊介にもらせた。夫はに来たが、入りには久美子もいた。
「母さんは廊で待つだけだ。初孫がまれるにへいろなんて酷だろ」
私は病院へ提した面会希望を変えなかった。職員は久美子へ、本の同がないため病棟へ入れないと説した。久美子は自分が祖母であること、嫁の実母だけが入れるのは差別だと訴えた。
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母も分娩には入らず、私が求めた連絡係として待にいた。誰が血縁いかではなく、今の私が誰に支えてほしいかで決めた。俊介は久美子を帰らせず、自分も入で説得を続けたため、ち会いの始ににわなかった。
娘はけ方にまれた。私が決めた名は紬だった。族の縁を無理に本へ束ねるのではなく、異なる糸をつずつ確かめながら布にしていけるになってほしいとった。
俊介は産に病へ入り、さな娘を見て泣いた。私はその涙を嘘だとはわなかった。子どもをしいとう気持ちと、妻を尊できなかった事実は同にする。
「結菜じゃないのか」
最初に名を聞いた夫のからたのは、その言葉だった。私は、結菜は久美子が決めた名であり、私たち夫婦が話しった名ではないと答えた。
俊介はし満そうだったが、届には紬といた。提に私が内容を確認し、で署名した。子どもの最初の公な類だけは、誰かが勝に作った同にしたくなかった。
退院の、久美子は病院のでいドレスを持って待っていた。職員から連絡を受けた私は、裏から逃げるのではなく、玄関で直接話した。
「そのは着せません。写真も撮りません。今、面会は私たち夫婦のがあるだけです」
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久美子は、孫を質にしていると叫んだ。私はち止まらず、紬を抱いたまま迎えのへ乗った。俊介は母の隣に残り、産ケア施設まで来なかった。
その夜、彼から《母さんを傷つけたことを謝るまで、俺もそっちへかない》とメッセージが届いた。
私は返信せず、初めて娘ときりの夜を迎えた。
翌朝、俊介は母のいドレスだけを施設へ届けに来た。受付で預けて帰るつもりだったらしいが、私は職員同席の面談で話すことにした。ドレスを受け取らない理由と、夜のメッセージが育児放棄の宣言として残る能性を伝えた。
「脅すのか」
「あなたがいた言葉を、いたとおり受け取っています」
俊介は、自分は母と妻の板挟みだったと言った。だが久美子は、自宅の部も産資も病院の報も、自分ではかせない。鍵を渡し、送し、署名し、報を渡したのは俊介だった。
私は夫を、母親に逆らえないかわいそうな息子として扱うことをやめた。歳のとして、自分が選んだ為の責任を求めた。久美子の性格を説することは、俊介の免責にはならない。
面談の最、職員は俊介へ、父親が産ケアのに参加するプログラムを案内した。夫はそので予約し、翌週、沐浴と寝かしつけを教わった。私は緒に暮らす約束をしなかったが、学ぶ会まで奪う必もないとった。
いドレスは俊介が持ち帰った。